【祖母井城(芳賀城)】
「うばがい」と読みます。
築城年代は定かではありませんが
天文年間(1532年〜1555年)に
祖母井吉胤によって築かれたと
云われています。
祖母井氏は桓武平氏で
下野国芳賀郡祖母井の発祥で
祖母井氏を名乗ったのことに
始まるとのことです。
代々宇都宮氏の家臣でした。
往時は集落全体を囲む
大城郭であった模様です。
永禄元年(1558年)、
上杉謙信が宇都宮を攻めた時、
信濃守吉胤は矢板周防守らと
防戦して撃退しましたが、
この時討死したということです。
元亀3年(1572年)、
北条氏政が多功城を攻撃すると
祖母井高貞がこれを撃破し、
また、天正13年(1585年)に
北条氏が多気山城を攻撃した時は、
祖母井定久がこれを撃退しています。
文禄の役では祖母井定久が戦功を立てています。
このように祖母井氏は武略に優れた
一族でしたが、
慶長2年(1597年)、
主家である宇都宮氏が改易になりますと
連座して城を追われ、没落しました。
その後、この地は浅野長政が、
次いで蒲生氏郷が領し、
元和元年(1615年)、
大田原政清の領地となりましたが、
このころ廃城になったということです。
芳賀町体育館の北に小さな公園があり、
このあたりが本丸跡とされる
説明板があるとのことです。
東側にあるホテル糸屋の所に
わずかに残っているようです。
現在の芳賀町役場の所に
鍵形の土塁が残っていたとのことですが、
これは役場建設のおりに消滅しました。
現在の城跡は公園です。
「城の内公園」との名称です。
本丸の南側、西側の田地は
内堀でした。
面積は4,200㎡程で、
水田、湿地帯の微高地に
築かれた平城であり、
東西156m、
南北330mの規模が
あったということです。
湿地帯を天然の要害とした
城でしたが、
現在は芳賀町の市街地となり、
僅かに土塁が残るだけで何もありません。
本郭の地は旧芳賀町役場がありました。
西側の水田地帯から見ると
3mほど市街地が高いことで
かろうじて城であったことが
分かる程度であるとのことです。
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【所在地】
〒321-3304 栃木県芳賀郡芳賀町祖母井581-11
専用の駐車場はありません。
<付近の施設>
「道の駅 はが」
<所在地>
〒321-3304 栃木県芳賀郡芳賀町祖母井842−1
(営業時間)
午前9時~午後5時
(定休日)
水曜日
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