小見の方(おみのかた)は、戦国時代の1513年に、美濃・明智城主である明智光継の娘として生まれたとされます。
父・明智光継(あけち-みつつぐ)の正室は武田信豊の娘です。
小見の方は長女(三女?)と伝わります。
母は、この武田信豊の娘の可能性がありますが、そのあと後妻となった尾関石見守の妹の、どちらかと考えられます。
また、明智光綱の妹と言う事になります。
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この頃、明智家は、美濃にて勢力を強めて来た、稲葉山城主の斎藤道三によって攻撃を受けたようで、斎藤道三に従うようになりました。
兄・明智光綱(あけち-みつつな)は、その攻撃にて討死したともされますが、この明智光綱こそ、のち織田信長のもとで活躍する、明智光秀の父であるともされます。
その幼い、明智光秀を後見したのが、小見の方とは兄弟にあたる明智光安と言う事になります。
なお、小見の方は、まだ幼い頃に、実質的な人質として、斎藤道三に預けられていたとされます。
小見の方は、大変な美女に育ったとされ、1532年に、長井規秀(斎藤道三)に見初められて正室となり、1535年には帰蝶が誕生しました。
この帰蝶(濃姫)は、のち1548年に、織田信長の正室になる女性です。
そのため、斎藤道三から明智家が攻撃されたと考えられる1535年の時点では、すでに、斎藤道三の正室であったと言う事なのでしょう。
なお、斎藤道三が深芳野を側室(妾)にしたのは1526年頃と考えられますので、そのあと、小見の方を正室にしたと言う事にもなります。
1541年に生まれた、斎藤利治(斎藤新五郎利治)を産んだのも、小見の方と考えられます。
その後、1551年3月11日、小見の方は肺病(結核か?)にて死去したとされます。
ただし、山科言継の日記「言継卿記」では、1569年に、織田信長が妻の母に礼を述べるため会いに行ったと言う内容の記述があることから、1551年に亡くなったと言うのは誤りである可能性も指摘されています。
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過去には、NHK大河ドラマ「国盗り物語」(1973年)にて、小見の方を山本陽子さんが演じられています。
その他、テレビ朝日(1991年)の「戦国乱世の暴れん坊 齋藤道三 怒涛の天下取り」(新春大型5時間時代劇スペシャル)では岩崎良美さん、2005年のテレビ東京「国盗り物語」(新春ワイド時代劇)では、遠野凪子さんが演じられました。
他には、2012年のテレビ朝日「濃姫」にて、藤真利子さんが、小見の方の役となっています。
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