城跡

緒川城~水野氏五代の居城、徳川家康の生母である於大の方の出生地です。

緒川城(愛知県知多郡東浦町)



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【緒川城】

緒川城(おがわじょう)は、
現在の愛知県知多郡東浦町緒川にあたる
尾張国知多郡小河に所在する城です。
城跡は「緒川城址」として
東浦町指定の史跡となっています。
緒川城(尾張国)説明

【別名】
緒川古城、高薮城、緒川新城

【城郭構造】
平山城

【築城主】
水野貞守

【築城年】
文明年間(1469年⇒1487年)

【主な城主】
水野忠政水野信元

【廃城年】
慶長7年(1606年)

【遺構】
曲輪、土塁、乾坤院総門

【指定文化財】
町指定史跡

【緒川城の歴史】
文明年間(1469年⇒1487年)に
水野貞守により築城されました。
水野貞守は小河氏の末裔を名乗っていました。

【小河氏】
小河(おがわ)氏は、平安時代末期の
平家政権に追われ各地に散った源氏一族のうち、
小河に移り住んだ重房を祖としています。
鎌倉時代に地頭職だった小河氏は、
延文5年(1360年)に
八代小河正房が美濃の守護である
土岐氏に滅ぼされました。
子孫は水野郷(今の瀬戸市)に流浪しました。
それから100年ほど経た時に、
水野貞守が緒川の旧塁を修築し、
水野家菩提寺の乾坤院を
文明7年(1475年)に
創建したとされています。

【室町時代の知多半島
室町時代、
知多半島を支配していたのは、
三河の守護である
一色氏でしたが、応仁の乱
急速に勢力が衰えました。
その機会に台頭したのが
大野・内海の佐治(さじ)氏、
三河の田原から来て
師崎・河和方面に進出した戸田氏、
緒川・大高・常滑を抑えた水野氏でした。

【5代続く】
のち賢正、清忠、忠政、信元と続きました。
初代城主の水野貞守(みずのさだもり)、
二代賢正(かたまさ)、
三代清忠(きよただ)の墓は
於大公園の北東の一角にあります。
ただし、二代目と3代目の名は諸説あります。

天正8年(1580年)の水野忠守の入城に際し、
居所の移転がなされました。
慶長6年(1601年)に緒川藩が成立、
水野分長が城主となりますが、
新城藩移封に伴い、慶長7年(1606年)に
廃城となりました。




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【構造】
南から北に、出丸、二つに区切られた主郭、
家臣の屋敷、忠守および分長の居城となった
曲輪群から構成されています。
貞守の築城による主郭および
その周囲の曲輪を「緒川古城」と称し、
忠守らの居城区域を「高薮城」
もしくは「緒川新城」
と呼ぶことがあります。
それぞれ現在の東浦町緒川字古城と
緒川字屋敷三区に相当します。

緒川城位置推定図

【遺構】
「緒川古城」の主郭は児童公園となっており、
僅かに北側の土塁の一部が残存しています。
土塁に隣接して「緒川城址」の石標と
城趾全体の縄張り図を含む案内板があります。
緒川城址

古来、この場所は
日本武尊の東征の折に
走水で入水した
弟橘姫の父である
穂積忍山宿禰の古墳跡との
伝承があるとのことです。

緒川城址 案内板
古墳?

この緒川城は徳川家康の生母である
於大の方の出生地であり、
児童公園の一角には
於大の方出生地石碑」があります。
於大の方出生地石碑
緒川城

「高薮城」周辺は一面宅地となり、
当時の面影はありません。
かつては石碑(愛知県)が
建てられていたとのことですが、
今は東浦町役場の北に
移動されているそうです。

<乾坤院の総門>
水野氏菩提寺である乾坤院の総門は
「緒川新城」廃城の後に
移築されたもので、
現存する唯一の建物であるとの
伝承が同寺にあります。
乾坤院の総門(緒川城)

乾坤院の境内にある
堅雄堂の西には、
水野家中興の祖である
四代城主水野忠政と
六代城主忠守公、
その子忠元公、
その子で岡崎城主忠善公の
四代の御墓があります。

<所在地>
〒470-2102 愛知県知多郡東浦町大字緒川字沙弥田4

<交通アクセス>
JR武豊線「緒川駅」下車 徒歩15分
知多半島道路「東浦知多IC」から5分
「於大公園」隣接

【緒川城・所在地】
〒470-2102 愛知県知多郡東浦町緒川古城

【緒川城址アクセス】
JR東海武豊線「緒川」駅より
徒歩15分。
住宅街の一角の小高い丘にあり
駐車場はありません。
道も狭く坂道と曲がり角の連続です。
東浦町町役場の駐車場が利用できます。
役場からは徒歩で5~10分程度です。

<東浦町町役場・所在地>
〒470-2192 愛知県知多郡東浦町大字緒川字政所20番地

於大の方~徳川家康の生母、戦国の動乱の中を逞しく生き抜いた女性です。

水野信元~徳川家康のかなり頼れる伯父だが、最期は織田信長から殺害命令が下る。

刈谷城~元は「刈屋城」、水野忠政が築城、信元が後を継ぎ於大の方はこの城から岡崎に嫁いでいます。

坂部城~久松氏の居城で家康が生母である於大の方と感動の再会を果たした城となります。

常滑城~常滑水野氏の代々の居城、後に大目付の起源の惣目付に水野守信が就任。

河和城~戸田宗光が築城、孫の守光没後にその遺児が母方の水野姓を名乗り河和水野氏となります。

大浜陣屋~大浜藩の藩庁として築かれた陣屋で以前は大浜古城、羽城跡でした。

尾張・大野城~築城は一色氏でその後は佐治氏が4代支配、お江(崇源院)が佐治一成に嫁いできた城です。

結城城~結城朝光が築城、室町時代の結城合戦の舞台、その後廃城になるも水野宗家が入り幕末まで続きました。

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