鎌倉殿の13人

伊豆山神社~頼朝が伊東祐親より逃げ込み、政子との逢瀬を重ねた伊豆の地名の発祥の地

伊豆山神社 本殿



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伊豆山神社

伊豆山神社(いずさんじんじゃ)は、
静岡県熱海市伊豆山上野地、
JR熱海駅の北東約1.5kmにある神社です。
全国各地に点在する伊豆山神社や
伊豆神社(いずじんじゃ)、
走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)
などの起源となった事実上の総本社格です。

<境内ご案内>
伊豆山神社 境内案内図

江戸時代以前には、
伊豆山権現(いずさんごんげん)、
伊豆大権現(いずだいごんげん)、
走湯権現(そうとうごんげん、はしりゆごんげん)
等とも呼ばれていたそうです。

伊豆の地名の発祥地でもある伊豆山神社。
源頼朝北条政子が結ばれた場所であることから、
縁結びの神社としても有名です。
江戸時代には、徳川家康も参拝に訪れた歴史のある神社です。

<腰掛石>
源頼朝北条政子が腰掛け、愛を語らったといわれる石です。

伊豆山神社 腰掛石

長い石段をのぼり境内へ上がると、
熱海市街と海を見下ろす眺望を楽しむことができます。

<熱海市街と海と初島>
熱海市街と海と初島

本殿から本宮社へは、
遥拝所、白山神社、結明神本社を経て
約1時間の道のりです。
ゆっくりと山道をのぼりながら
参拝をするのもおすすめです。

本殿より約800段下には走湯神社があり、
湯の神様が祀られています。

毎年4月14日~16日の3日間は
例大祭が行われ、多くの人が訪れるとのことです。




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【伊豆山神社について】
修験道の始祖とされる役小角が
伊豆大島へ配流された折に、島
を抜け出して伊豆山などで修行し、
また走り湯を発見した等との伝承があります。
また、空海弘法大師)が修行したという
伝承もあるように、
多くの仏教者や修験者が修行を積んだ霊場でありました。
後白河法皇勅撰の「梁塵秘抄」には
「四方の霊験者は伊豆の走湯、
信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山」
と記されているとのことです。

かつて、源頼朝が伊東祐親から逃げ込んだ伊豆大権現は、
やがては源頼朝と北条政子の逢瀬の舞台となり、
現在では縁結びや恋愛成就の神社として人気があります。

伊豆山神社 こころむすび

特に御神木であるこの梛(なぎ)の木は、
その葉を大切に持っていれば
良縁が結ばれるとされております。
梛の葉は、その葉脈の形から容易に裂けません。
このことから梛の葉は、男女の仲が裂けない、
願いごとが叶うと古来よりの伝えがあるとのことです。

伊豆山神社 本殿 梛の木

明治維新の神仏分離令により寺を分離して
伊豆山神社と称するまでは、
天台宗や真言宗と関わりの深い神仏習合の神社でした。
現在地へ遷座して以降は主に、
高野山真言宗である
般若院(はんにゃいん)の別当寺が
伊豆大権現と等しく祀られていたそうです。

【伊豆山神社の歴史】
創建の年代は不詳ですが、
社伝によれば
孝昭天皇の時代とされています。
(紀元前5世紀~紀元前4世紀)

当初は日金山(ひがねさん)の山上にあったそうです。
その後については諸説があるそうですが、
本宮山(ほんぐうさん)を経て、
承和3年(836年)に
甲斐国の僧である賢安により
現在地へ遷座したとの説が有力となっています。

仁徳天皇が勅願所としたとされるため、
歴代皇族の崇敬が篤く、
清寧・敏達・推古・孝徳・後奈良の六天皇の
勅願所となったと社伝に謳われており、
特に後奈良天皇は
自筆の般若心経一巻(重要文化財)を奉納しています。




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【源頼朝と伊豆山神社】
源頼朝は平治の乱の後、
伊豆国に配流されたとき、
当社に源氏再興を祈願したとのことです。
有力豪族の伊東祐親に追われて
伊豆山神社に身を寄せたり、
北条時政の娘であった
北条政子との逢瀬の場にするなど
関わりが深かったのでした。
後に鎌倉幕府を開くと
箱根神社箱根権現)と共に
伊豆山神社を「二所権現」(にしょごんげん)とし、
「二所詣」(にしょもうで)が行われました。
更に、途中に三嶋大社にも参詣するので、
こちらも含めて「三社詣」
(さんしゃもうで)とする場合もあったとか。

伊豆山神社 腰掛石辺りの境内

【関八州鎮護】
また幕府の最高の崇敬を示す
「関八州鎮護」として、
多くの社領を寄進しました。
南北朝時代の「寺領知行地注文」によれば、
遠くは越州に至るまで数多くの
知行地を所有したとされるなど、
この時期、伊豆山神社が
最盛期を迎えていたともうかがわれます。

【小田原北条氏】
戦国時代、小田原北条氏の篤い崇敬を受けていましたが、
豊臣秀吉小田原征伐で焼失してしまいました。
(な、なんてことを!!)

【江戸時代】
江戸時代に入ると山麓の阿多湊
(または阿多美の郷)が
湯治場として名高くなりました。
徳川家康はじめ多くの大名や
文化人たちが訪れたといいます。
焼失していた伊豆山神社は再建され、
江戸幕府からは文禄3年、伊豆国加増も
葛見郡のうち二百石を、
慶長14年には関ヶ原の戦いでの勝利の礼として百石を、
それぞれ朱印領として寄進され、
以後、代々の将軍からも同様に寄進を受けたのでした。

【近代以後】
神仏分離後の大正3年(1914年)1月13日、
皇太子であった昭和天皇が
伊豆山神社に参拝し、
本殿脇に黒松一株を手植しました。
大正7年、宮内省から金参万円を支給されました。

昭和3年(1928年)の昭和天皇御大典の際に
国幣小社に列し、
秩父、高松、久邇、伏見、山階、賀陽、東伏見の
各宮家から金壱封を、
梨本宮家からは日本刀一口及び槍一筋、
祭祀料の寄進を受けました。
第二次世界大戦後に社格制度が廃止されて以降は
別表神社とされ、宗教法人化されました。

【ご祭神】
伊豆山神(天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、
拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと))




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【社殿・摂末社】
【伊豆山神社】
<本宮社>
承和3年(836年)以前の元宮。
本殿から山道を登った先にあります。
江戸後期の焼失により現在は拝殿のみです。

本宮社へは、白山神社遥拝所よりスタートです。
道なりに20分ほど登ると白山神社に到着します。
そのあと子恋(こごい)の森公園⇒
結明神本社⇒本宮社となります。
大部分が未舗装なので滑りにくく歩きやすい靴でどうぞ。

<本殿>

<下宮>
参道の石段を下りた先にありました。
現在の「伊豆山浜公園」の辺り。
現在でも例大祭などで使用します。

<結明神(むすぶみょうじん)社>
ご祭神は結明神(日精・月精)。
本殿に至る石段の途中にあります。

<本社(結明神本社)>
ご祭神は結明神(日精・月精)。
本宮社へと至る山道の途中にあります。
走湯山縁起によれば景行天皇の31年、
日金山の大杉の中より
男女二人の赤ん坊が生まれました。
初島の初木神社の御祭神である
初木姫がこの2人の赤子を引き取り育てましたが、
時を経ずしてたちまち成長し、
一女を日精、一男を月精と号しました。
後に二人は夫婦となり、
日金山に仕えて
「伊豆権現氏人之祖」となったとのことです。

日精・月精その終没を
不知(富士山)から神上がったと記され、
後の人たちより結明神として
仰がれ祀られたと伝られています。
ご祭神は男女の縁結びを叶えてくれる神様で
古くは一名恋祭りという神事があり、
各地から集まった
若い男女の参列を得て行われていたことが
伝えられています。

<白山神社>
本宮社へと至る山道の途中、
結明神本社より手前の脇道を北方へと
進んだ先にあります。
ご祭神は菊理媛命で、例祭は8月7日です。

<雷電社>
本殿手前の南脇にあります。
ご祭神は伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)で
例祭は3月15日です。
創立年代は不詳ですが、
吾妻鏡に「光の宮」と別名があり、
鎌倉幕府三代将軍源実朝が再興し、
その後暦応4年に足利氏が、
慶長17年に徳川二代将軍秀忠が改築、
現社殿は昭和10年に内務省によって
改築されました。
政治を司り導く神として、
源頼朝を始め歴代の将軍家の崇敬が厚く、
室町時代には多数の社領を有していたとのことです。

伊豆山神社 雷電社

<ご利益>
事業、経営、商売繁盛、心願成就、良縁成就、
家内安全、夫婦円満、子孫繁栄など。

<光石>
走湯山縁起と吾妻鏡の
大磯高麗山(高来神社)道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)
とともに来た光の石、とのことです。

伊豆山神社 光石

<足立権現社>
本殿へと至る参道石段の途中の
北脇にあります。
祭神は役小角で例祭は7月1日です。
舒明天皇6年、
大和の葛城上郡茅原に生まれ
神仏両道に渉り行を積み深く学を究め、
日本国中の名山高山を開き登り、
修験道の祖、開山の祖とも仰がれます。

文武天皇3年、
伊豆大島に流刑にされた折、
昼は皇命を慎み、
夜は飛行の術を駆使し、
伊豆大権現に飛び来て
修行重ねたと伝えられています。
運命開拓の神様と伝えられており、
古くから足の病に悩む人、
足腰の弱い人が祈願したなら
神護を受けて強足となるという
信仰があるとのことです。




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<祖霊社>
伊豆山神統会の祖霊及び
家族の御霊をお祀りするお社です。

【境外社】
<走湯神社>
海辺の「走り湯」の脇にある神社。
祭神は天忍穂耳尊で例祭は5月14日。
走り湯は今から1200年前に
発見されたといわれる
全国でも珍しい横穴式源泉です。
山腹から湧き出た湯が海岸へと
飛ぶように流れ落ちる様から
「走り湯」と名付けられたそうです。
湧き出す湯が病を治し、
長寿に効験があるとされ、
古くから神格化し信仰の対象としてきました。
その信仰の中心が伊豆山神社であり、
走湯神社は走り湯の源泉を守護する神社、とのことです。

<初木神社>
初島にある神社。
祭神は初木姫命で例祭は7月17日〜18日。
「伊豆権現氏人之祖」とされる
日精、月精を引き取り育てた初木姫を祀っている神社です。
代々、初木神社の神職を勤めてきた
網代の高杉家に残されている
初木神社のご神体である
懸仏の制作年代から、
初木神社が創建された年代は
鎌倉以前であることが推定されているそうです。

また初木神社の社殿の下からは
奈良時代よりさらにさかのぼる
古墳時代の祈りの場所である
磐倉の跡が発見されており、
現在でも初木神社例大祭での
鹿島踊りの奉納が
島の一年でもっとも大きなイベントとなるなど、
古代から変わらぬ島の人々の
信仰の中心になっているとのことです。

(引用元:伊豆山神社公式サイトより)

【祭事】
例大祭(4月15日を中心に4月14日〜16日の3日間)
4月14日: 宵宮祭(20時〜)
4月15日:
例大祭神事(10時〜)
神女舞、実朝の舞
神幸祭(13時〜):
発輿祭、神幸行列
下宮祭(14時〜):
神女舞、実朝の舞
4月16日
正殿祭(10時〜)
神女舞、実朝の舞

【文化財】
<重要文化財>
◆木造男神立像
◆剣 無銘
◆紺紙金泥般若心経(後奈良天皇宸翰)

【赤白二龍】
「走湯山縁起』に、
「伊豆山の地下に赤白二龍交和して臥す。
その尾を箱根の芦ノ湖に付け、
その頭は伊豆山の地底にあり、
温泉の湧く所はこの龍の両眼二耳鼻穴口中なり」
と記載があります。
伊豆山神社の「伊豆山大神」が、
赤龍と白龍の二龍の姿となって、
温泉を生み出す様が描かれているとされています。
赤龍は火の力、白龍は水の力を操るとされ、
二龍は温泉の守護神ともされているとのことです。

<案内図に描かれている赤白二龍>
案内図に描かれている赤白二龍

この「赤白二龍」(せきびゃくにりゅう)は、
伊豆山神社のシンボルとされ、
社殿の手前にある手水舎にも、
二龍をかたどった装飾がみられます。
伊豆山神社が縁結びの神社ともされることから、
赤龍を母親、白龍を父親とみなし、
あわせて夫婦和合や縁結びの象徴ともしているとのことです。

【御祈祷】
受付時間
午前9時30分~

※新型コロナウィルス感染症予防(三密回避)のため
「おはらい」の受付は事前(前日まで)の
申込み連絡となっているとのことです。

【所在地】
〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山708−1

【交通アクセス】
JR熱海駅から「伊豆山神社前」バス停まで、約7分。
(伊豆山神社行、又は七尾行)
伊豆山神社前バス停から
階段を約170段昇ると神社に到着。

【駐車場】
階段下と本殿横の2ヶ所あります。
本殿横の駐車場へは急な坂道となります。
時々、猫ちゃんもまったりと
通るのでお気を付けください。
参拝者用なので勿論無料です。
どちらも数台分のスペースしかないので
混雑時は別の駐車場探しが必要だと思います。

<伊豆山子恋の森ハイキングコース>
伊豆山子恋の森 ハイキングコース

<伊豆山子恋の森ハイキングコース入り口>
伊豆山子恋の森 ハイキングコース入り口

源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。

真珠院・八重姫御堂~八重姫とは?父親たちの選択によって明暗を分けた娘たち。

最誓寺(伊東市)~伊東家のお墓及び千鶴丸の菩提寺として~伊東七福神巡りは寿老人です。

音無神社~源頼朝が八重姫との逢瀬を重ねた伝承の地~ひぐらしの森で待ちわびて音無の森で密会♪

日暮八幡神社~源頼朝が八重姫に会うために待ったひぐらしの森~日暮遺跡(弥生時代)の場所でもあります。

稚児ケ淵~頼朝と八重姫の子・千鶴丸が沈められたと伝わる場所~松川の上流です。

蛭ヶ小島~源頼朝が20年間過ごし北条政子と夫婦となった配流地~

北条政子~いちずに恋した乙女は幾多の悲しみと困難を乗り越え尼将軍となった。

頼朝一杯水~頼朝が伊豆山への逃避中に休息し水を飲んだ場所

伊東佑親~源頼朝の配流地の監視役で八重姫の父であり、北条義時・曽我兄弟・三浦義村の祖父。

十国峠~源実朝も愛し和歌に詠んだ十国五島の素晴らしい展望~フリードッグランもあります!

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