【朝日山城 (越中)】
越中の朝日山城(あさひやまじょう)は、
富山県氷見市幸町朝日山公園にかつてあった
日本の城跡で平山城です。
【別名】
(旧)氷見城
【城郭構造】
平山城(標高48m(比高30m))
【天守構造】
不明
【築城主】
不明
【築城年】
南北朝時代
【主な改修者】
不明
【主な城主】
鞍川氏?
【廃城年】
天文19年(1550年)
あるいは
天文22年(1553年)
【遺構】
郭、堀切
【指定文化財】
未指定
【再建造物】
なし
【朝日山城について】
南北朝時代に築かれた砦跡とされています。
別名は「氷見城」とも呼ばれていますが、
こちらの築城は南北朝であり、
別名の氷見城は他にもあるので、
(旧)氷見城、となります。
戦国時代には、
神保長職の家臣の鞍川氏とされていますが、
詳細は不明です。
鞍川氏は、現在の氷見市鞍川一帯を治めていた豪族でした。
なお、鞍川氏の本拠地は北西方向の1km位にあった
「鞍川城」とされており、
こちらは支城であった可能性があります。
やがて鞍川清房・鞍川清経は、
神保長職から離反し、七尾城の畠山氏に寝返ります。
けれどもやがて守護・畠山氏に不満が募っていきます。
天文19年(1550年)、
第8代当主の畠山義続(よしつぐ)の政治に
不満を持った家臣たちが
温井総貞・遊佐続光を大将として反乱を起こします。
ふたりを含めて反乱を起こした家臣のうち、
主要な者は「七頭」(畠山七人衆)と呼ばれ、
後に「七頭の乱」と呼ばれるようになります。
遊佐続光は鞍川清房・鞍川清経を味方に引き入れ、
鞍川清房・鞍川清経は遊佐続光側として戦います。
そして同年11月24日、能登に進軍します。
翌日、天神河原に布陣した末吉城の平重冬に加わり、
戦ったのち、鞍川清房・鞍川清経は討ち死にして
鞍川氏はどうやら滅んでしまい、
朝日山城もやがて廃城になった模様です。
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なお、天文22年(1553年)に起きた
畠山七人衆(畠山七頭)のリーダーであった
遊佐続光と温井総貞の争いである大槻一宮合戦で
討ち死にしたともいわれています。
現在は朝日山公園として整備され、
富山湾を見渡すことが出来て、
眺めがよく大変すばらしいです。
富山県立氷見高校が隣接しており、
この高校の敷地内に、遺構があるとのことです。
【鞍川氏の後の支配者】
其の後、氷見周辺を支配したのは
菊地武勝ですが、本拠地は阿尾城でした。
阿尾城も、別名を氷見城としており、
こちらの氷見城の方が有名かもしれません。
【所在地】
富山県氷見市幸町朝日山公園
【駐車場】
あり、無料
【交通アクセス】
JR「氷見」駅より徒歩25分程度。
公園の頂上まで車で上がれます。
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