史跡・城跡

豊太閤産湯の井戸~もう一つの豊臣秀吉公生誕地 、常泉寺にあります。

豊太閤産湯の井戸(常泉寺)



スポンサーリンク



豊太閤産湯の井戸

常泉寺(秀吉公産湯の井戸)
常泉寺は名古屋市にある、日蓮宗の寺院です。
もう一つの豊臣秀吉生誕の地です。
豊国大明神の廟堂として創建されました。
御神体は豊太閤の肖像束帯唐冠で、
当初は大阪城にあったものを
加藤清正が現在の地に鎮座し、奉りました。

【常泉寺】
常泉寺(じょうせんじ)は、
愛知県名古屋市中村区にある
日蓮宗の寺院です。
山号は太閤山。本尊は大曼荼羅。
豊臣秀吉の生誕地と伝えられています。
旧本山は、萱津妙勝寺。
常泉寺(名古屋市中村区)
当地は豊臣秀吉の生誕地の一つとして
永らく伝えられています。
豊臣秀吉の死後の
慶長11年(1606年)に加藤清正
圓住院日誦上人を開山に招き、
豊国大明神廟堂として創建しました。
寺名は豊臣秀吉の誕生当時、
近郷に類のない清水の溢れる井戸
(現在の豊太閤産湯の井戸)が
あったことから定められたということです。

御神体である豊臣秀吉の
束帯唐冠像(長さ二尺余り)は
木食興山上人の彫刻であるとのことです。
当初は大坂城に
置かれていたのですが、
加藤清正が豊臣秀頼に願い出て
譲り受け、当地に奉ったものであるとのことです。

名古屋城の築城を手伝わされていた
加藤清正は、名古屋城の完成後、
慶長16年(1611年)に
本陣としていた仮屋を
日誦上人に喜捨し、
仏殿に改築し妙行殿としました。
元和元年(1615年)夏、
廟堂から出火し、ほとんどの建物が焼失。
その後、日探上人が焼け跡に
草堂を建てて常泉寺とし、
焼け残った妙行殿は妙行寺に改めて
弟子の日璋に授けたとのことです。
境内には、豊太閤産湯の井戸や
豊臣秀吉が天文16年(1547年)に
自ら植えたという柊などがあり、
寺宝として豊臣秀吉の肖像画や
上記の秀吉木像の他、
秀吉所持と伝えられる
采配・茶釜・硯などが
所蔵されているとのことです。

【境内】
◆本堂

◆庫裏

◆豊太閤産湯の井戸
昭和40年代に枯れてしまいましたが、
元号が平成に替わったのを機に
掘りなおして復活させたとのことです。

◆豊臣秀吉像
豊臣秀吉像(常泉寺)

◆秀吉御手植えの柊

◆山門

【所在地】
〒453-0053 愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷47

中村公園(秀吉清正公園)(名古屋)について~秀吉・清正に関する史跡があります。

羽柴秀吉(豊臣秀吉・木下藤吉郎)下層民から天下人の生涯を手短に!

寧々(おね・高台院)~豊臣秀吉の正室、夫を内助の功で支え続けやがて天下人にさせた「おかか」

豊国神社及び豐公誕生之地(豊臣秀吉公生誕地)の碑~中村公園(秀吉清正公園)にあります。

清正公誕生之霊地 ~妙行寺は加藤清正公の縁の寺院で秀吉清正公園傍にあります。

加藤清正~多くの戦功、治水事業、農業、商業に手腕を発揮し築城の名手であり「清正公さん」として信仰されています。

木下勝俊と木下長嘯子宅跡~中村公園(秀吉清正公園)(名古屋)にあります。

名古屋城~日本100名城、特別史跡、日本三大名城、名勝、金鯱、起源は今川氏が築城し織田信秀・信長が居城した那古野城でした。

関連記事

  1. 山木判官平兼隆館跡 山木判官平兼隆館跡~伊豆目代平兼隆の襲撃~源氏再興の狼煙はここか…
  2. 大森氏頼居館跡(紫雲寺) 大森氏頼~兄弟親子の分裂を経て当主になり西相模で勢力をのばしまし…
  3. 太平寺(那須烏山市) 太平寺(那須烏山市)~創建約1200年の天台宗の古刹で蛇姫様こと…
  4. 武田信春公館(千野 慈徳院) 武田信春公館~甲斐源氏第12代及び武田氏9代当主であった武田信春…
  5. へいほう石 パネル 広場 へいほう石と小平城(小平館)、怪力きこりの玄蕃は長沼氏家臣の後裔…
  6. 臨済寺 三門 臨済寺~今川家の菩提寺で幼き徳川家康が教育を受けた場所、2代目住…
  7. 後瀬山城跡 若狭武田氏の本拠地であった後瀬山城について、若狭武田氏の始まりと…
  8. 鎧橋・鎧の渡跡 鎧橋・鎧の渡し跡~名称の由来は源義家の東征からですが、平将門伝説…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 慈円~歴史書「愚管抄」の著者で九条兼実は同母兄、天台座主を務め小倉百人一首にも選出されています。 比叡山 延暦寺

ピックアップ記事

  1. 手向山八幡宮
  2. 須我神社 島根県
  3. 足利学校
  4. 硯山長福寺 仁王門
  5. 鑁阿寺 鐘楼
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP