【木曽小丸山城】
木曽小丸山(こまるやま)城は木曽親豊によって築かれた城です。
上之段城を築城する前の木曽氏の居城でした。
天文24年(1555年)に
武田信玄が木曽谷へ侵攻すると、
この城には木曽義昌が籠城し、
木曽義昌の父である木曽義康は
上之段城に籠城しましたが、
最終的には降伏しています。
武田信玄は木曽義昌に
三女である真理姫を嫁がせて、
親族衆として木曽谷を安堵するとともに
美濃や飛騨へ侵攻する際の
最前線基地となりました。
現在城址は二の丸跡が
木曽青峰高校の敷地となっており、
遺構は残っていません。
【縄張形態】
山城
【標高(比高)】
811m( 58m )
【築城主】
木曽親豊
【築城年】
応永年間(1394年~1428年)
【主な城主】
木曽氏
【交通アクセス】
(電車)
JR中央本線「木曽福島」駅から徒歩約15分
(車)
中央自動車道「中津川」ICから1時間15分程度
【所在地】
〒397-0001 長野県木曽郡木曽町福島
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