【喜連川足利氏館(陣屋)】
喜連川陣屋は喜連川頼氏によって
築かれた陣屋です。
豊臣秀吉のはからいにより
喜連川城に入った
足利国朝が急死すると、
家督を継いだ頼氏は喜連川氏を称し、
城の北麓に陣屋を築きました。
喜連川氏は江戸幕府においても
足利氏後裔という家柄を重んじられ、
喜連川藩の立藩や参勤交代義務の免除など
破格の待遇を受けました。
なお、最後の当主である喜連川聡氏は
足利姓に戻しています。
喜連川陣屋は喜連川藩の政庁として
幕末まで利用されましたが、
明治9年(1876年)に
焼失したため遺構は残っていません。
現在陣屋跡にはさくら市喜連川庁舎が
建てられています。
また市内の民家に陣屋門が
移築されていましたが、
焼失したため現在は存在しません。
【築城主】
喜連川頼氏
【築城年】
文禄2年(1593年)
【主な城主】
喜連川氏
【遺構】
移築門
【復元状況】
摸擬櫓門
【交通アクセス】
(電車)
JR宇都宮線「氏家」駅から
東野交通バスに乗り
「喜連川役場前」バス停下車、
徒歩約1分
(車)
東北自動車道「矢板IC」から15分
【駐車場】
さくら市喜連川庁舎駐車場(無料)
喜連川は源平の合戦以来、
塩谷氏が治めていました。
その後、足利尊氏の分家である
古河公方の末えいの足利国朝を初代とし、
弟の頼氏と治世が変わり、
2代頼氏の代になって、
現在の町役場の位置に
館が建てられました。
館は明治9年に焼失し、
門は平成3年に復活しました。
【所在地】
〒329-1412 栃木県さくら市喜連川4421
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