【國王神社】
国王神社(こくおうじんじゃ)は、茨城県坂東市にある神社です。
平将門を、その終焉の地に祀る神社となります。
正式には國王神社と表記します。
国王大明神や将門大明神の古称があります。
旧社格は村社。
【ご祭神】
平将門(平将門命)
岩井は平将門の拠点
(島広山・岩井営所跡のほか、
関連史跡が数多くある)であり、
叛臣とされた歴史を通じて、
地元民の英雄として変わらず崇敬されてきました。
戦前は、神田明神で明治天皇親拝の際、
朝敵とされた平将門命が
祭神から外されたという騒動を受けてか、
公式には大己貴命一柱を祀っていました。
平将門公を祀るという由緒は
特段隠されておらず、茨城県神社写真帳は、
大己貴命を祀る社が元々存在したか、
新たに創祀して平将門の神霊を
迎えたのではないかとする推察を付しています。
現在、大己貴命は祭神から外れています。
【境内社】
茨城県神社写真帳に、
妙見神社(天御中主神)、
稲荷神社(倉稲魂命)の2社が
記載されているほか、
守神社(天御中主命)、
疱瘡神社(少彦名魂命)、
浅間神社(木花咲耶姫命)の合併の記録があります。
現在は、妙見社、守大明神、浅間神社があります。
守神社は、戦前は天御中主命を
祀るものとされていましたが、
現在は平将門の子孫ともいわれる
平守明を祭神としています。
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【祭礼】
例祭日は平将門公が没した2月14日です。
氏子の間では十四日講という
供養行事が代々行われてきたとのことです。
例年ですと11月第2日曜日に
「岩井将門まつり」が開催されるとのことです。
旧岩井市が市制施行した
昭和47年4月(1972年)を
記念して始まったとのことです。
【由緒】
社伝(「国王神社縁起」及び「元亨釈書」)によりますと、
平将門の戦死の際、
難を逃れ奥州の恵日寺付近に
庵を結び出家し隠棲していた
平将門の三女如蔵尼が、
平将門の33回忌にあたる
天禄3年2月(972年)にこの地に戻り、
付近の山林にて霊木を得て、
平将門の像を刻み、祠を建て安置し
祀ったのがはじまりとされています。
神像は制作年代不詳ですが、
文化財解説は室町時代の作としています。
御霊信仰に基づき、
平将門公の神霊を鎮めるために
創祀されたという説もあります。
慶安元年(1648年)、
徳川家光が圭田10石を寄進しました。
万治2年10月(1659年)、
火難により故事不詳となります。
延宝3年(1675年)、
拝殿を建立しました。
文化財解説では
再建棟札にある文化14年(1817年)が
妥当としています。
文化14年(1817年)、本殿を再建しました。
明治維新後、近代社格制度で村社に列します。
明治41年4月(1908年)、
守神社、疱瘡神社、浅間神社を合併しました。
昭和47年4月(1972年)、
岩井将門まつりが始まりました。
【文化財】
国王神社本殿(県指定有形文化財)
国王神社拝殿(県指定有形文化財)
寄木造平将門の木像(県指定有形文化財)
【立地】
旧岩井市街から結城街道を沓掛に向かう左側に、
杉木立におおわれて国王神社があります。
夏は境内の木々が強い日差しを遮り、
涼やかな空気を作り出します。
また冬の季節は落葉しない常緑樹に
囲まれた境内を歩きますと、
自然の生命力の強さを
より感じられることと思います。
古風な木造両部鳥居をくぐり、
参道を進むとその奥まったところに
茅葺き屋根の社殿があります。
【社殿】
常緑樹に囲まれた入母屋造りの拝殿、
幣殿、本殿からなる社殿は、
質朴な中に神さびた雰囲気が感じられます。
【ご神体の像】
御神体の像は、寄木造座像で
高さ2尺寸の衣冠束帯姿で、
右手に笏を持っています。
像の表情は目は吊り上り、
口は八の字に結び、怒りの形相を表わしています。
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【つなぎ馬の紋所】
彫刻で注目されるのは、
本殿向拝に用いる蟇股のつなぎ馬です。
江戸期の将門芝居に
つなぎ馬の紋所が描かれるのは、
この彫刻に由来するとのことです。
将門軍の最大の武器は馬と鉄といわれ、
騎馬合戦を最も得意としていました。
けれども乱は鎮圧され、
平和な時世には
騎馬は不用と馬をつなぎ置き、
再び合戦に用いない証明として
彫られたものと伝えています。
【所在地】
〒306-0631 茨城県坂東市岩井951
【駐車場】
境内に参拝者用の駐車場があります。
【交通アクセス】
坂東市には鉄道がありません。
最寄り駅は「愛宕」駅(東武・野田線)か
「守谷」駅(つくばエクスプレス)となります。
神社は県道20号線沿いにあります。
最寄駅からバスかタクシーとなります。
圏央道「坂東」ICより車で7~10分程度。
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