【新高山城】
所在地: 〒729-0412 広島県三原市本郷町本郷
新高山城(にいたかやまじょう)は、
現在の広島県三原市本郷町に建設された日本の城です。
城跡は国の史跡に指定されています。
2017年(平成29年)4月6日、
続日本100名城(173番)に選定されました。
【城郭構造】
山城
【天守構造】
建造されず
(詰の丸が近世天守に相当)
【標高(比高)】
197.6m(186m )
【築城主】
小早川隆景
【築城年】
天文21年(1552年)
【主な改修者】
【主な城主】
小早川隆景
【廃城年】
慶長元年(1596年)
【遺構】
石垣、堀切、土塁、井戸、礎石、郭、縦堀
【指定文化財】
国の史跡
【新高山城について】
小早川氏の居城は代々、
沼田川(ぬたがわ)の対岸にあった高山城でした。
沼田小早川家を継いだ小早川隆景は、
天文21年(1552年)、
沼田川を挟んだ対岸に新高山城を築き、
慶長元年(1596年)に三原城へ移るまで
小早川氏の本拠としていました。
三原城の築城の際、
石垣などを持ち去ったといわれています。
「毛利元就父子雄高山行向滞留日記写」
小早川家文書によりますと、
永禄4年(1561年)3月には、
毛利元就と隆元が
この新高山城を訪城し、
数日間滞在して連日饗応が行われたということです。
<新高山城(向かって左)と高山城(向かって右)>
※下は山陽新幹線が走行しています。
小早川隆景が三原城に移り、
以後は妻高山城、高山城ともに
廃城となり後に新高山城跡と名称変更しています。
遺構はわずかに残るのみですが、
本丸、中の丸、西の丸、北の丸、釣井の段、鐘の段などの
櫓跡が残存しています。
小早川家の菩提寺であった匡真寺(きょうしんじ)の跡があります。
三原城築城の際に移転し、宗光寺として現在に至っています。
また、本丸からの眺望は良好で、
沼田川対岸にある高山城跡を眺めることができるそうです。
建築物の遺構としては、
三原市本町にある宗光寺山門が
新高山城の大手門を移築したものと伝えられています。
なお異説もあります。
ちなみに宗光寺山門は国の重要文化財です。
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【交通アクセス】
登城口までJR「本郷」駅より徒歩30分弱程度
<靴・服装>
靴はトレッキングシューズが好ましいです。
服装は山登り用の服装。
飲料水も忘れずに。
登城口には竹があるそうですが
トレッキングポールがあると良いと思います。
登城口から山頂までは30~40分程度。
【スタンプ設置場所】
<1>
三原市 本郷生涯学習センター1階
【所在地】
〒729-0417 広島県三原市本郷南6丁目25−1
【時間】
午前9時~午後6時
【休館日】
12月28日~1月4日
※御城印の取り扱いはありません
<2>
本郷町観光協会
【所在地】
三原市本郷南五丁目26番11号
【時間】
午前9時~午後0時
※平日午後・土・日・祝日は休業
※新高山城の御城印の販売を行っています
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