城跡

真下城(上野国)~平将門伝説がありますが、確定しているのは天文年間に児玉党系統の真下氏が築城したことです。

真下城跡(上野国)



スポンサーリンク



【真下城(上野国)】 

承平5年(935年)に
平将門が承平貞盛を追って、
この地に来た時に要害の地と見て
築城したとの伝承がありますが、
これはあくまでも関東各地に伝わる
将門伝説の一つであると考えられています。

「鬼石町史」等によりますと、
築城者は児玉党の系譜をひく
真下伊豆守吉行と伝えられております。
天文年間(1532~1554))に
真下伊豆守吉行により築城されたとのこと。
あるいは真下氏が移り住んで来てから
真下城と呼ばれるようになったとも。
そして天文年間には、
真下氏は平井城に拠点を置く
関東管領山内上杉氏の配下となりました。

けれども天文20年(1551年)8月、
真下吉清の代に
北条氏康の上野侵攻に伴い
落城したとされています。
また真下城は天正年間に廃城となり、
南麓の「譲原堀の内」が
平時の城主の居館であるということです。
 
従って現存する真下城の遺構については、
山内上杉氏時代のものであるとは
想定できないものがあり、
小田原北条氏時代、武田氏時代、
武田氏滅亡後の小田原北条氏時代等に
一定の改修を受けていた
可能性が考えられるとのことです。

主郭東側の郭が有するこの山城で
最も特徴的な土塁・構堀の普請については、
その形態からは、小田原北条氏等の
手によるものとも考えられているとのことです。

【登城・現地】
城跡まで、鬼石総合グラウンドから
歩いて20分程度だそうです。
ルートの所々に案内看板があるそうです。
小さい神社の後ろに砂防ダムがあり、
そこから山道とのこと。

遺構は完存しており、
堀切などは見事だったそうです。

登城の難易度はそれなりに
あるそうなので、
きちんと準備してから
登城することをお勧めします。

【遺構】
曲輪、土塁、空堀、堀切、土橋、城址名板

【所在地】
〒370-1402 群馬県藤岡市譲原

飯盛山城~武蔵御嶽城の物見台・烽火台として使用されていた可能性あり。円錐形の山です。

越生館(越生神社)と高取山城~武蔵七党の一つ児玉党の一族であった越生氏が築城。

北条氏康~小田原北条3代目~相模の獅子 ・関東八州にその名を轟かした猛将は戦国随一の民政家。

平将門~困っている人を放っておけない面倒見の良い大将は東国に新国家を創ろうとした。

伝・平良兼館(竜ケ井城・竜崖城) ~平良兼は平将門の叔父にあたりこの地は「弓袋山の対陣」の舞台です。

花園城~築城は平安末期、猪俣党の一族で山内上杉氏の重臣を代々務めた藤田氏の居城です。

尾附城 ~山中衆の土屋山城守高久が築城、武田の武将小幡氏の重臣である熊井土氏の配下です。

関連記事

  1. 要害山城 甲府 積翠寺にある武田信玄公産湯の井戸跡と背後の要害山城、続日本100…
  2. 浜田城址(伊勢国) 四日市市 浜田城(伊勢国)~田原忠秀が築城し四日市の地名も誕生、後に滝川一…
  3. 鳶ケ巣城(出雲) 鳶ケ巣城~宍道湖の水運を押さえる戦略的重要性のある要害。登山口に…
  4. 鹿島城址(常陸国) 鹿島城(常陸国)~平安時代末期に鹿島氏によって築城されました。築…
  5. 浄福寺城(八王子) 浄福寺城~築城は大石氏で由井城の説あり、後に八王子城の出城として…
  6. 掛川城 天守閣 太鼓櫓 掛川桜 掛川城 (日本100名城)~東海の名城と謳われた程で日本初の本格…
  7. 三河・岡山城 三河・岡山城~西条吉良氏の流れをくむ岡山氏の居城、その後は吉良氏…
  8. 安芸木村城 安芸木村城~竹原小早川家の本拠地で築城は鎌倉時代中期、戦国時代に…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 波多野三兄弟と八上城~七度の攻防戦があった城~光秀によって陥落、波多野氏とは? 八上城・遠景

ピックアップ記事

  1. 熊野
  2. 岩津城跡 松平信光
  3. 大阪城からの大阪市街
  4. 関城跡・関親子の宝篋印塔
  5. 清道院(武田信成館跡・赤甲城)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP