【久松長家】
久松 長家(俊勝)(ひさまつ ながいえ(としかつ))は、
戦国時代の武将です。
尾張国知多郡の坂部城
(阿久比城:愛知県阿久比町卯坂)主。
初名は定俊及び長家(ながいえ)。
徳川家康の生母である於大(伝通院)の
再婚相手として知られています。
本姓は菅原氏。佐渡守を称しました。
実父は久松定義とされています。
(「藩翰譜」1巻320項など)。
「東照宮御実紀」巻二には、
尾州の智多郡阿古屋の久松佐渡守俊勝とあります。
【久松長家(俊勝)の生涯】
尾張国守護斯波氏に仕える
国人領主であった久松氏は、
戦国時代には大野城
(愛知県常滑市北部)を本拠とする
佐治氏と争っていました。
けれども久松長家(俊勝)は
天文15年(1546年)、
佐治氏の一族より長子である
信俊の妻を迎えることでこれと和睦しました。
これは松平広忠の仲介に
よるものとする「寛政重修諸家譜」
の記述があるとのことです
(新訂17巻314項)。
また古文書などから従来織田方として
見られていましたが、
松平広忠と同心していた事も
明らかになっており、
織田方との提携と共に
松平氏との提携もしていたと
今ではみられています。
【上ノ郷城攻略】
桶狭間の戦い後に
松平元康(後の徳川家康)に与す、
永禄5年(1562年)、
今川氏の重臣であった鵜殿長照が守る
三河国宝飯郡西郡の上ノ郷城
(愛知県蒲郡市神ノ郷町)を攻略しました。
西郡の領主となった久松長家(俊勝)は、
信俊に阿久比を譲り、
上ノ郷城には於大との間に生まれた
次子である康元を置きました。
この時期の発給文書には「長家」の名が見え、
また佐渡守を名乗っていたことがわかります。
(永禄8年(1565年)の安楽寺
「宗感」宛寄進状など。
「蒲郡市誌」(旧市史)資料編50項所収)。
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【「俊勝」への改名】
「俊勝」への改名はこれ以降と考えられていますが、
2006年(平成18年)版「蒲郡市史」は
その時期を不明としています(1巻481項)。
また、松平元康は永禄6年(1563年)に
「家康」と改名しますがが、
家康の「家」の字は
継父である久松長家より一字を得たものでしたが、
後年大名に成長した家康を憚って
長家の方が「俊勝」と改名。
さらに、家光以後に徳川将軍家にとり
「家」の通字が重要となり由来を隠したため、
その由来が分からなくなってしまった
とする説もあるとのことです。
【水野信元暗殺事件】
後に織田信長から武田勝頼への
内通の疑いをかけられた
水野信元(家康には伯父、
俊勝には義兄にあたる)が
徳川家康を頼ってきます。
けれども、徳川家康は織田信長の命により
同盟を重視して水野信元と養子の元茂を
岡崎城に呼び出し切腹により自害させました。
後に事情を知って激怒した久松俊勝は
そのまま西郡城に隠退してしまいました。
晩年には三河一向一揆で
追放された一向宗寺院の
三河復帰に尽力したということです。
【墓所】
墓所は阿久比町大字卯坂字英比67番地の
洞雲院および蒲郡市清田町門前4番地の安楽寺です。
法名は陽光院殿前佐州華林崇心大居士。
【子女】
「寛政重修諸家譜」(新訂17巻315項)が
掲げるのは庶長子の信俊を始め、
一色帯刀詮勝の妻、
また伝通院との間の子として
松平姓を名乗った松平康元、松平康俊、
多劫姫(桜井松平忠正室、
のち松平忠吉室、のち保科正直室)、
松平定勝、松姫(松平康長室)、
天桂院(松平家清室)、その他一女です。
【佐久間信盛は敵】
久松俊勝隠遁の原因となった
水野信元暗殺は、
佐久間信盛の讒言を受けたものであると
されていますが、
庶長子の信俊も佐久間信盛の讒言(ざんげん)を受け
自害に追い込まれ、
居城の坂部城は佐久間信盛の軍勢によって
攻め落とされ、信俊の子供達も殺害されています。
多劫姫を久松俊勝の娘とするのは
「寛政譜」菅原氏「久松」(新訂17巻315項)
および「桜井松平」(同1巻33項)
に拠るものであるとのことです。
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「どうする家康」では
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