【頭陀寺城】
頭陀寺城(ずだじじょう)は、
現在の静岡県浜松市南区頭陀寺町にある
高野山真言宗の古刹である
靑林山頭陀寺(づだぢ)の門前にあった
戦国時代の日本の城です。
【別名】
市場城、伝・松下屋敷
【城郭構造】
不明
【天守構造】
なし
【築城主】
松下氏?
【主な改修者】
不明
【主な城主】
松下之綱
【廃城年】
16世紀
【遺構】
なし(地下に遺構あり)
【概要】
地元の伝承では別名市場城とも云うそうです。
引間城主・飯尾氏を寄親とする
寄子の土豪・近江源氏の松下氏の居城で、
松下氏は頭陀寺の寺侍であった
可能性が強いとのことです。
川匂庄(かわわのしょう)の領家は頭陀寺でした。
天文20年(1551年)頃から約3年間、
まだ無名の豊臣秀吉が
松下之綱(松下加兵衛)に仕えたと
「太閤素生記」に記されています。
永禄6年(1563年)、
遠州忩劇(今川氏と飯尾氏の争乱)で
焼き討ちに遭い、炎上しました。
江戸時代は、松下之綱の長男である
暁綱の家系が、
松下屋敷の当主となって
明治38年(1905年)まで居住しました。
【遺構】
遺構は1945年、
アメリカ軍による空襲と艦砲射撃で、
頭陀寺の本堂(法堂)、
仏殿、三重塔、行者堂、
庫裏、御影堂、仁王門などとともに壊滅しました。
広さは約1町(109m)四方で、
ほぼ土豪の一般的な大きさでした。
頭陀寺自体を含めると、
広さについては、
もっと大きかった可能性があります。
かつてあった城の周囲は田となっており、
戦国時代の頭陀寺城は、
通称「松下屋敷跡」(別名:田中屋敷)
といわれる場所の地下80cmにあることが、
平成13年(2001年)10月の
発掘調査でほぼ明らかになっています。
また、焼き討ちにあったことを
裏付ける炭跡も確認されています。
井戸跡からは大きな硯石や
高級青磁の破片が発見されており、
松下氏は交易商人でもあった可能性があります。
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頭陀寺町第一公園の、
わずかに土塁の面影を残すところにある
「松下屋敷跡石碑」は、松下氏の屋敷神を祀る、
「松下稲荷」の本殿のあった場所でした。
かつては応神天皇と敦実親王を
祀っていた所でもあります。
松下稲荷は頭陀寺の境内に移転しました。
【所在地】
〒430-0817 静岡県浜松市南区頭陀寺町310−4
【頭陀寺城跡(松下屋敷跡)と井伊直政】
頭陀寺は、飛鳥時代に建立された古寺で、
戦国時代は、今川氏の保護を受けて繁栄しました。
門前には、今川氏に仕え寺侍だったと思われる
松下氏の屋敷があり、
一帯は、頭陀寺城とも呼ばれていました。
この屋敷には、少年時代の豊巨秀吉が
しばらく奉公していたという記録が残っています。
松下氏は、井伊直虎が女城主となって、
幼少期を支えてきていた
井伊家の跡取り虎松(後の井伊直政)とも深い関わりがあります。
井伊直虎が城主となった直後、
今川氏は徳政令を出します。
井伊直虎はこれを一時凍結しますが、
結局、発動せざるをえなくなり、
虎松の父である井伊直親が
今川氏に謀殺されることに加担した
井伊家の家臣、小野和泉守に
井伊谷城をのっとられてしまいました。
井伊直虎や直虎の母、虎松の実母は、
龍潭寺の松岳院に隠れ暮らし、
今川氏に命を狙われた8歳の虎松は、
三河(愛知県)の鳳来寺に逃げました。
しばらく後、虎松の実母が再婚したのが、
頭陀寺城の松下源太郎(松下清景)でした。
なお、松下源太郎は松下之綱とは義兄弟になります。
小野氏が井伊領を奪った直後に
徳川家康が遠江に侵攻し、井伊谷城を摂取。
小野和泉守は徳川家康により磔に処されました。
その後、井伊谷は武田信玄の軍に占領されますが、
武田信玄が病死すると武田氏は衰退しました。
そうした情勢下にあった1574年、
父井伊直親の13回忌が龍潭寺で行われ、
虎松も鳳来寺からやってきました。
このとき、井伊直虎や南渓和尚らは、
虎松を浜松城の徳川家康に出仕させることを決め、
母の再婚相手、松下源太郎に養子として預けます。
<少年時代の豊臣秀吉・徳川家康・井伊直政>
1575年、松下氏のはからいもあって、
凛々しい松下虎松は徳川家康に謁見。
小姓にとりたてられました。
頭陀寺第一公園には屋敷跡の碑があり、
すぐ近くに頭陀寺があります。
【所在地】
所在地: 〒430-0817 静岡県浜松市南区頭陀寺町310−4
頭陀寺第一公園の一角
【交通アクセス】
浜松市駅北口
バスターミナル⑧のりばから
「掛塚方面」行きのバスで約10分、
「頭陀寺」下車、徒歩5分
<車>
東名高速「浜松IC」から車で約25分
新東名高速「浜松浜北IC」から車で50分
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