【加賀美遠光】
加賀美 遠光(かがみ とおみつ)は、
平安時代末期から
鎌倉時代前期にかけての武将です。
甲斐源氏の祖とされる
源義光の孫となる源清光の四男です。
なお源清光の父である
源義清の子とする説もあります。
加賀美氏の初代であり、
武田氏初代武田信義の弟(あるいは叔父)となります。
甲斐国巨麻郡加賀美郷
(現在の山梨県南アルプス市の一部)
一帯に所在する加々美荘を本領としました。
【生誕】
康治2年2月28日(1143年3月16日)
【死没】
寛喜2年4月19日(1230年6月6日)?
【改名】
豊光丸⇒源遠光⇒加賀美遠光
【別名】
加賀美次郎
【墓所】
山梨県甲府市伊勢の遠光寺
【廟所】
〒400-0395 山梨県南アルプス市小笠原376
【官位】
信濃守
【氏族】
甲斐源氏流加賀美氏
【父】
源義清
【母】
佐竹義業の末娘
【養父】
源清光
【兄弟】
清光、師光、遠光、安田義定
武田信義
【妻】
杉本義宗の娘(和田義盛の妹)
【子】
秋山光朝、小笠原長清、南部光行
加賀美光経、於曽光俊(経行)、大弐局
【生涯】
保元2年(1157年)、
源義重の加冠によって15歳で元服しました。
伝承によれば、
承安元年(1171年)に宮中に怪異が起こり、
高倉天皇は源氏の弓矢の名手として
加賀美遠光を召され
(当時加賀美遠光は
滝口武者であったとされています)、
鳴弦の術を行わせたとのことです。
無事に怪異は治まり、
加賀美遠光は褒賞として
不動明王像と近江国志賀郡を
下賜されたということです。
この不動明王像は現在も
山梨県南巨摩郡身延町の
大聖寺に安置されており、
国の重要文化財に指定されています。
さらに加賀美遠光は特別に
「王」の一字を許されたとされ、
加賀美氏の家紋は三階菱の中に
「王」の字を配しています。
治承・寿永の乱に際しては
次男の小笠原長清と共に参加し、
平家滅亡後の文治元年(1185年)には
源頼朝より御門葉の一人として
重きを置かれ信濃守に任じられました。
以後は源頼朝の家臣として活動し、
しばしば「吾妻鏡」に記述が見られます。
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晩年には衰微していた
真言宗の古刹である法善寺を再興します。
また現在甲府市伊勢に所在する
遠光寺(当時は臨済宗であったが、現在は日蓮宗)
を創建したほか、遠光創建を伝える寺社も多いです。
5人の息子がいます。
長男の秋山光朝は加々美荘から
南方の大井荘に進出し、
現在の南アルプス市秋山に
居館を構え秋山氏を称しました。
平家嫡流である平重盛の娘を
妻としていたため
源頼朝に滅ぼされたものの、
その一族の活動が見られます。
次男の小笠原長清は小笠原氏を、
三男の南部光行は南部氏の祖となりました。
四男の光経が加賀美氏を継ぎ、
五男の於曽光俊(経行)は
奥州合戦の際に軍略で功を立てました。
また、娘の大弐局は
源頼朝の子である源頼家と源実朝
2人の養育係を務めています。
一方、鎌倉では
弘安8年(1285年)11月17日に
安達泰盛・宗景父子が誅殺される
霜月騒動が発生します。
騒動では小笠原氏や秋山氏、南部氏など
加賀美一族が連座しています。
このため在地においては
加賀美一族は衰退し、
戦国時代には代わって
甲斐守護・武田氏の一族である
武田大井氏が台頭することになります。
【加賀美遠光墓所】
山梨県甲府市伊勢の遠光寺
遠光寺(おんこうじ)は、
山梨県甲府市伊勢二丁目にある
日蓮宗の寺院です。
山号は宝塔山。
旧本山は身延山久遠寺(身延門流)。
建保2年(1214年、一説に建暦元年(1211年))、
加賀美次郎遠光が宗明(のちの日宗)を
開山に山梨郡小曲村(現在の甲府市小曲町)に
自らの菩提寺として建立しました。
天文年間(1532年⇒1555年)、
水害のため現在地に移転しました。
安政元年(1854年)、
盛岡城主南部氏(加賀美遠光の後裔)により修復されています。
【所在地】
山梨県甲府市伊勢二丁目2番3号
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武田信義~甲斐源氏であり武田氏の初代当主となり、武田信玄の遠いご先祖様です。
浅利与一義成(浅利義遠)~甲斐源氏の一族で弓の名手であり武田信義・加賀美遠光とは兄弟です。
法善寺(加賀美遠光館跡)~開創より1200年、武田八幡宮の別当寺であった古刹。
秋山光朝~加賀美遠光の長男、甲斐源氏の勢力拡大を恐れた源頼朝に疎まれ謀殺されます。
小笠原長清~弓馬四天王と称され、武家の有職故実を伝える小笠原一族の始祖です。
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大弐局 ~加賀美遠光の娘で兄弟には小笠原氏・南部氏がおり、源頼家・源実朝の養育係を務めた女性です。
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