鎌倉殿の13人

由比若宮(元八幡)、河内源氏の源頼義が前九年の役の勝利で勧請したお社です。

由比若宮(元八幡)



スポンサーリンク



【由比若宮(元鶴岡八幡宮)】

平安時代に河内源氏である源頼義が前九年の役の帰途、
勝ち戦に感謝するために
この地に源氏の氏神であった
京都の石清水八幡宮を
この由比郷に勧請しました。
これを移して大きくしたのが鶴岡八幡宮です。
そのため元八幡といわれています。
小さな路地に小さく建つ神社で、参拝者用の駐車場もなく、
そもそも道路も狭くて自動車では地元の方以外は
迷惑となってしまいます。
けれどもここは歴史上大きなポイントとなった場所です。

由比若宮 ご由緒

かつて鎌倉の海岸線は一の鳥居のあたりまで
あったそうです。
由比若宮の前には材木座の砂浜と
海岸線が広がっていたことでしょう。
今はすっかり埋め尽くされて、
閑静な住宅街の一角にあります。
横須賀線の踏切に近いせいか、
時々「カンカン」と踏切の警報音が聞こえてきます。

由比若宮(元八幡)お社

源頼朝の先祖で5代前の相模守であった
河内源氏の源頼義(みなもとのよりよし)は、
その子である源義家とともに
前九年の役」(1051~1062年)
において奥州の豪族である
安倍氏を討伐しました。
なお安倍氏は奥州藤原氏
初代の当主である
藤原清衡の母の実家です。
藤原清衡の孫が藤原秀衡となります。

京都石清水八幡宮に戦勝祈願をしていた
源頼義はそのお礼として1063年、
石清水八幡宮をこの地に勧請しました。
なお、永保元年(1081年)2月には、
源義家が社殿を修復しています。
時は流れて117年の後、
治承4年(1180年)10月7日、
大軍を引き連れて鎌倉入りを果たした源頼朝は
神意をもって由比若宮(元八幡)を
遥拝したとのことです。
そして同年10月12日、
由比郷から現在の鶴岡八幡宮がある
小林郷北山に遷座しました。

境内には「源義家公 旗立の松」や
「石清水の井」があります。

由比若宮(元八幡) 入り口

【ご祭神】
応神天皇
比売神
神功皇后

【例祭】
4月2日

【所在地】
〒248-0013 神奈川県鎌倉市材木座1丁目7

【交通アクセス】
<徒歩>
「鎌倉」駅東口下車 徒歩15分程度
<バス>
JR「鎌倉」駅東口6番バス乗り場から
九品寺方面行きで「元八幡」下車徒歩1分

河内源氏の栄枯盛衰~形成から興隆、衰退、初の武家政権となった鎌倉幕府と次の室町時代。

源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。

藤原秀衡~奥州藤原三代当主にて最も平泉を繁栄させ、源義経を二度庇護した人物です。

藤原彰子~真面目で努力家で控えめな少女は成長して国母となり政治力を発揮し「賢后」となりました。

藤原頼通~藤原氏の栄華の象徴である平等院鳳凰堂を造営、摂関政治から院政と武士が台頭する時代へ。

大弐三位(紫式部娘・藤原賢子)~母からは和歌や文才を、父からは明朗で自由快活な気性を受け継ぎ、行動力溢れ長寿を全うしました。

関連記事

  1. 狩野茂光・北条時宗の墓 工藤(狩野)茂光~伊豆半島最大の勢力を築いた狩野氏~末裔に絵師集…
  2. 仁右衛門島 仁右衛門島~源頼朝が身を隠し潜んだ場所で、頼朝一行を洲崎から案内…
  3. 岩船地蔵堂 鎌倉 扇ケ谷 大姫~源頼朝と北条政子の長女~生涯をかけて愛を貫いた儚くも一本気…
  4. 瀬田城址 瀬田城~琵琶湖の浮城~甲賀衆を祖とする山岡景隆。本能寺の変後、光…
  5. 毛越寺境内 藤原国衡~藤原秀衡の長庶子で藤原泰衡の異母兄、蝦夷の血を引く彼は…
  6. お雪供養塔 お雪供養塔~一条兼定の想い人~
  7. 苗木城跡・石碑 苗木城と苗木遠山氏~天然の巨岩を配し木曽川を従える天空の山城~遠…
  8. 静岡 渋川館付近 渋川館について~梶原景時及び梶原一族と合戦になり自害に追い込んだ…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 水戸城~馬場氏が平安時代に築城し、江戸氏、佐竹氏が居城、その後は御三家・水戸徳川家の居城になりました。 水戸城 大手門

ピックアップ記事

  1. 進士貞連
  2. 金井城址(北金井城址) 三重県いなべ市
  3. 亀山城址(奥平氏)
  4. 御城(小山市)
  5. 小机城址
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP