【金井城(北金井城)】
金井城は滝川一益に謀殺された
種付千代次秀信の居城として知られています。
種村氏は近江佐々木六角高成の孫である
種村大蔵太夫高盛が
この地に移って称したことに
はじまります。
永禄11年(1568年)、
北伊勢に侵攻した織田信長に降伏しましたが、
天正4年(1576年)に種村秀信は
滝川一益に疑心を持たれ、
伊勢長島城で
自刃することとなりました。
その際に一族が城を焼き払い
離散したと伝えられています。
現在城址には本丸跡周囲の高土塁や
空堀、虎口などの遺構が
良好に残っています。
主郭内は半分程が未整備ですが、
無料専用駐車場、案内板、空堀、
土橋、虎口、土塁、城址碑等が確認できます。
特に空堀は広く、深く、立派です。
虎口の奥の主郭の周囲は
高い土塁が一周残っており、
主郭の中に石碑があります。
土塁の外は急峻な崖と
自然の川で守られており
堅城だったことがうかがえます。
<注意>
夏場など気温と湿度が高い季節の
登城はお勧めしません。
生い茂る草木とぶんぶん飛び回る
虫たちで行く手を阻まれることになります。
冬でも緑豊かです。
【縄張形態】
平山城(丘城)
【標高(比高)】
(10m)
【築城主】
種付高盛
【築城年】
永正2年(1505年)頃
【主な城主】
種村氏
【指定文化財】
市史跡
【交通アクセス】
(電車)
三岐鉄道北勢線「大泉」駅から
徒歩約20分
(車)
東名阪自動車道「四日市東」ICから
約20分
【所在地】
〒511-0225 三重県いなべ市員弁町西方450
笠木館~笠木御所とも呼ばれ北畠氏の一門である坂内氏の居館、県内屈指の中世の居館跡となります。
三瀬館 ~北畠具教の隠居所で北畠氏が滅亡する「三瀬の変」 の舞台になった場所です。
浜田城(伊勢国)~田原忠秀が築城し四日市の地名も誕生、後に滝川一益に攻略され落城、子は小牧・長久手の戦いで討死
伊勢・千種城~後醍醐天皇に仕えた千種氏の子が築城、中世の典型的な山城の形状が残っています。
尾鷲・中村山城~仲氏の本拠の城でしたが、堀内氏善に攻略され和睦し降伏しました。
堀内氏屋敷~堀内新宮城とも呼ばれた熊野水軍の将であった堀内氏善の居城跡です。
鵜殿城~三河の鵜殿長照やお田鶴(椿姫)のご先祖の地、鵜殿氏は熊野別当が出自とされています。
鬼ヶ城本城~有馬忠親の隠居城でしたが攻城され熊野水軍を率いた堀内氏善が治めました。
紀伊・長島城~北畠氏の家臣である加藤氏が南北朝に築城、奥村氏に時を超えて数度裏切られる。
有馬本城~鎌倉時代に熊野別当家の出という有馬氏が築城したと伝わります。
川瀬城~赤木城から5km余、立派な城址碑と傍らに小さな五輪塔がある城主不明の城跡。
赤木城~築城は藤堂高虎で続日本100名城に選定、田平子峠刑場跡と共に国の史跡に指定されています。
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