史跡・城跡

鳥越城跡と二曲城跡~加賀一向一揆の終焉の地~金板片が出た!

鳥越城跡



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鳥越城

鳥越城(とりごえじょう)は、
石川県白山市三坂町(旧鳥越村)
にある中世の日本の城(山城)跡です。
大日川を挟んだ対岸に位置する
二曲城(ふとげじょう)とともに
国の史跡に指定されています。
史跡指定名称は「鳥越城跡 附(つけたり) 二曲城跡」。

<鳥越城及び二曲城の案内図>
鳥越城 二曲城 案内図

【所在地】
石川県白山市三坂町

【別名】
別宮城

【形態】
連郭式山城

【天守構造】
建造されず

【築城主】
鈴木出羽守

【築城年】
天正初年(1573年)頃  

【主な城主】
山内衆

【遺構】
土塁、空堀、曲輪

【指定文化財】
国の史跡

【再建造物】
櫓門、門、石垣(一部)

2017年(平成29年)4月6日、
続日本100名城(136番)に選定されました。
スタンプ設置場所は鳥越一向一揆歴史館です。

<鳥越城跡案内図>
鳥越城跡案内図

【形状】
手取川と大日川の合流点に位置する
丘陵先端部を利用して築かれており、
標高は主郭部で312mあります。

面積は東西400m、南北1200mにおよび、
頂上を中心とした
七か所の主要な郭で構成されています。

郭は、本丸・二の丸・三の丸
後二の丸・後三の丸などと名付けられ、
空堀や土塁を挟んで
尾根筋を巧みに利用して配置されていており、
それを腰郭が囲んでいます。




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<鳥越城跡>
鳥越城跡の図

<鳥越城跡入り口>
車で上の駐車場まで走行できます。
上の駐車場にはトイレが設置されています。
鳥越城跡・入り口

<あやめが池>
鳥越城跡 あやめが池

<本丸下の堀>
鳥越城跡 本丸下の堀

<中の丸門>
鳥越城跡 中の丸門

<本丸門>
鳥越城跡 本丸門

<本丸>
鳥越城跡 本丸

<矢印>
鳥越城跡 矢印

【歴史】
白山麓山内惣庄の旗本である
鈴木出羽守を城主として、
天正元年(1573年)頃、
織田信長による加賀一向一揆討滅の
経路がはかられる中で、
門徒集団である山内衆の抵抗の拠点として
築城されたということです。

【鈴木出羽守】
鳥越城主である鈴木出羽守は、
二曲右京進の子あるいは孫といわれており、
鉄炮に習熟していたといわれる人です。
また雑賀衆ともいわれています。
このため防御陣地として、
鳥越城は難攻不落の城となっていきます。

【俱利伽羅の戦い】
鈴木出羽守は天正4年(1576年)の
俱利伽羅の戦いで活躍をしていました。
越後の上杉謙信と合戦になり、
上杉軍を越後に追い返しています。

【当初は二曲城だけ】
はじめは二曲城だけでしたが、
鈴木出羽守が山内門徒の将となってからは、
織田信長と対峙するには、
第二の城が必要であると考えました。
そして、二曲城の向かい側に
鳥越城を築城したのでした。

【天正8年】
天正8(1580)年4月に、
現在は金沢城となっている金沢御坊を
織田信長の家臣柴田勝家が攻略し、
柴田軍はさらに白山麓に侵攻していきました。
手取川を遡って来る柴田軍を相手に、
鳥越城主・鈴木出羽守が指揮をとっていました。
白山麓の本願寺門徒は勇猛果敢に戦い、
そのため鈴木出羽守は、
防戦のため二曲城を強化し、柴田勢と戦います。
山内衆は、手取川の地形を生かした
巧みな戦術で柴田軍を撃退しました。
天正8年(1580年)8月のことでした。
同年同月、
大阪の石山合戦は織田方の勝利に終わりました。
けれども、鳥越城の
山内衆は抵抗を続けていました。




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【鈴木出羽守、謀殺】
鳥越城の強固な守りに
柴田勝家は苦戦を強いられます。
そこで、和睦を持ち掛け、
鈴木出羽守一族を松任城に呼び出して、
謀殺してしまいました。
信長公記」によりますと、
天正8年(1580年)11月17日、
鈴木出羽守とその子供である
右京進、次郎右衛門、采女の他
鈴木出羽守一族を含む19名の首級が
織田信長の安土城に届けられたと
記されています。

【一度は鳥越城を取り戻す】
城主の鈴木出羽守を殺された山内衆は
それでも織田信長に
3度もの戦いを挑んだとされています。
そして、一度は鳥越城と二曲城を取り戻すのでした。

【天正10年】
織田信長方の佐久間盛政が今度は攻めてきます。
天正10年(1582年)3月1日、
ついに力尽きて鎮圧されてしまいました。
この戦いでの後の残党狩りで、
300人を超える人々が生け捕りにされて、

手取川で磔刑に処せられたそうです。
残雪が赤く染まったとのことでした。
このあと、数年間は、
周囲の村々から人の姿が消えてしまったと
伝えられています。

現在、城の北側の後三の丸跡の崖の下に
慰霊碑が建立されています。

<鳥越城からの眺め>
鳥越城からの眺め

【金板片】
平成6年(1994年)9月19日、
鳥越城跡の本丸北東側から
金板片が発掘されました。
大きさは2センチ四方で
厚さは1mm~2mm程度の
小さなものです。
けれども、中世城郭から
金板片が見つかったことは初めてであり、
当時、かなり注目されたとの事です。
発掘された状況から、
鈴木出羽守が在城した
当初からのものではなく、
天正8年(1580年)~天正9年の攻防の
最中に埋没したものと思われているそうです。

【天文日記に記載】
本願寺の10代目法主である証如が記した
「天文日記」によると、
天文5年(1536年)より
加賀から毎年、金を大阪の
石山本願寺に送っている事が
わかっています。
更に、「上杉家文書」には、
越後で金を使用した商業をしていたことが
記されています。

【金の流通】
専門家によりますと、
金が全国的に統一した
貨幣的役割を果たすようになるのは
近世になってからでした。
中世では、室町時代までは、
守護大名が自己の領地で採集された金を、
神社への奉幣物や寺院への奉加施物、
一般的な流通の交換対象物として
使用していたに留まっていました。
16世紀になって、金・銀屋で
砂金を吹直し、のし金という延板にして
目方によって値段を決めて、
切り売りしながら、
商業流通に使用するようになりました。
鳥越城跡本丸で発掘された金板片も、
刃物の切り傷がついていることが
確認されています。
従って、吹き直しの金板を
切り売りしていた残りであると
推察されます。
そして以下の推察がなされています。

【1】
落城後の鳥越城を守備していた織田方の所有物。
⇒軍事的な織田軍の軍資金と推察される。

【2】
鳥越城死守及び奪還に燃える鈴木及び山内衆の所有物。
⇒宗教的な本願寺への冥加金と推察される。

【金山があった?】
白山麓には金平という地名が現存しています。
中世より金が採集されており、
石川県内で金が採集されていたことが確認来ます。




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【その他の出土品】
越前焼の甕、青磁3脚香炉、白磁皿、染付碗、天目茶碗、
刀、鉄砲玉、吹子の羽口、宋銭200枚以上、
賽3個、漆碗3個、多量の炭化米など。

<鳥越城跡・遠景>
鳥越城・遠景

【白山私立鳥越一向一揆歴史館】
【所在地】
石川県白山市出合町甲26番地

<鳥越のガイドマップ>
鳥越のガイドマップ

【電話】
076-254ー8020

【FAX】
076-254-2787

【開館時間】
午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

【休館日】
毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始・展示替え整理期間

【入館料】
一般:300円(団体:250円・15名以上)
中学生以下:無料
★道の駅「一向一揆の里」のエリアにあります。
白山市立鳥越一向一揆歴史館

【二曲城】

二曲城(ふとげじょう)は
石川県白山市出合町にある
中世の日本の城(山城)跡です。
川の対岸にある鳥越城の附(つけたり)として
国の史跡に指定されています。
府峠城とも称します。

<二曲城跡>
二曲城跡・先端

【別名】
府峠城
【形態】
連郭式山城
【天守構造】
建造されず
【築城主】
鈴木氏
【築城年】
不明
【主な改修者】
不明
【主な城主】
一向衆
【廃城年】
不明
【遺構】
空堀、曲輪
【指定文化財】
国の史跡
【再建造物】
なし
【所在地】
石川県白山市出合町121

<二曲城跡へのアクセス>
二曲城跡散策図

【概要】
二曲の地は、白山麓門徒の指導者であった
鈴木(二曲)氏の本拠地で、
本来、この城は山麓の通称
「殿様屋敷」の館に居住した
鈴木氏の砦でした。
城跡は、鳥越城跡から大日川の対岸に
相対する標高268メートルの
独立峰上に築かれております。
山頂は平坦に削られており、
屋根上に腰曲輪と空堀の遺構が確認できます。

<二曲城跡・遠景>
二曲城・遠景

天正8年(1580年)に、
織田軍の攻撃により落城しますが、
さらに一向一揆の抵抗は続き、
天正10年(1582年)に
山内衆が城を奪還しました。
けれども数か月後には再度落城し、
山内衆300人余りが処刑され
山内衆の抵抗は終わりました。




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【「二曲」の由来】
「二曲」と表記して読みは「ふとげ」です。
鈴木出羽守の居城は二曲の城山でした。

【1.姫の髪の形説】
「村名由緒上申書」によりますと、
鈴木出羽守の姫君の髪がことのほか長く、
背を伝って下に二曲(ふたわげ)たまるので
二曲姫といったといい、
この姫君が住んでいたので
村の名前になったとだと
古老が申し伝えたとされている説です。

【2.山の形説】
さて、「鈴木系図」の奥書によれば、
「二輪笥村」(ふたわげむら)と
記されているそうです。
この村落の背後の村は、二つの峰から成り、
(1)双輪の様に見える
(2)笥(け)というのは、お供えする食器のこと。
仏飯に似た山の形は、
飯豊山(いいでやま)として崇拝されることから、
この二つの山が仏飯に似ている事からという説です。

【3.峠説】
三坂峠を越えて国府に行くので、
「府峠」(ふとうげ)と呼び、
いつしか二曲となったという説です。

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