【常栄寺】
常栄寺(じょうえいじ)は
神奈川県鎌倉市大町に所在する日蓮宗寺院です。
山号は慧雲山です。
鎌倉時代からあった草庵を
慶長11年(1606年)に
紀州徳川家家老である
水野重良の娘で
日蓮宗に帰依した日祐尼が開基し、
池上本門寺14世日詔上人が開山しました。
本尊は三宝祖師です。
ぼたもち寺(牡丹餅寺)の名で知られています。
旧本山は比企谷妙本寺、池上・神楽坂法縁。
【歴史】
寺伝によりますと、
鎌倉時代に源頼朝が
由比ガ浜で行われた「千羽鶴の放生会」を
遠望するための桟敷を山上に作ったのが
興りとされています。
ここを守護していた印東祐信は
(工藤祐経の孫。日昭は弟にあたり、
日蓮とは比叡山の同学でした。(「本化高祖年譜」)
京都にある御所の「桟敷」を
警備する役だったともあります。
弟の日昭は、京に登ると、
関東申次である近衛兼経(このえかねつね)の
猶子・法印になったともされます。
その近衛兼経の娘・近衛宰子が、
鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王の正室(御息所)となって、
7代将軍・惟康親王を産んだほか、
執権である北条時頼を猶子としました。
この縁もあり、日昭の母である
妙一尼(工藤佑経の娘)が、
御所桟敷に住むことができたので、
「桟敷の尼」と呼ばれたともあります。
また妻である日蓮宗の尼僧が
「桟敷の尼」ともいわれています。
となると、
「桟敷の尼」は二人いて
お姑さんとお嫁さん・・ということになるのでしょうか。
文永8年(1271年)の龍ノ口法難の折り、
処刑のため刑場(現・龍口寺)に
引かれて行く日蓮に
胡麻ぼたもちを捧げた、
という伝承があります。
この後に日蓮は刑を免れたことから
「御首継ぎに胡麻の餅」として
有名になったとのことです。
法難のあった毎年9月12日には、
参詣人にもぼた餅が供養接待されています。
常栄寺の寺名はこの桟敷の尼の法名
「妙常日栄」がもととなったとも
言われています。
【桟敷尼】
鎌倉時代の尼僧。
文治3年生まれとされています。
(1187年⇒1274年)
かつて源頼朝が桟敷をつくって
由比ケ浜を遠望したという
鎌倉大町に住んでいました。
日蓮が竜口の法難で護送されたとき、
胡麻ぼたもちをたべさせました。
文永11年11月12日に死去しました。
享年は88歳でした。
法名は妙常日栄です。
なお、比企能員の妻の妹の説が有ります。
また比企能本の妻の妹という説もあります。
<桟敷尼・左衛門尉祐信の墓>
草がかなり生い茂り、草に埋もれていました。
五輪塔は2基あります。
【拝観時間】
午前9時から午後5時
【交通アクセス】
鎌倉駅東口より徒歩約15分程度
(妙本寺とは程近くの位置にあります)
【所在地】
神奈川県鎌倉市大町1-12-11
源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。
杉本寺(鎌倉)鎌倉最古のお寺で創建は天平時代で源頼朝寄進の十一面観音が安置されています。
海蔵寺(鎌倉)鎌倉奥の静かな佇まいの花と井戸、そして数々の伝説を秘めた寺です。
比企能員~源頼朝を支え有力御家人として権勢を握るも北条氏に嵌められ1日で滅ぶ。
比企能員の妻~渋河刑部丞兼忠の娘・「鎌倉殿の13人」では道、二つの渋河氏、比企氏と源氏の深い関係と安房国
工藤佑経~復讐の連鎖の果てに~曽我兄弟の仇討の相手で後見人の伊東祐親に所領と妻を奪われてしまった人
この記事へのコメントはありません。