【伊勢・上野城】
上野城(うえのじょう)は、
現在の三重県津市河芸町上野に
存在した日本の城(山城)です。
【城郭構造】
平山城
【築城主】
織田信包
【築城年】
元亀元年(1570年)
【廃城年】
元和5年(1619年)
【遺構】
本丸・二の丸・櫓台・空堀・土塁
【城の概要】
上野の町並みを見下ろす
標高30mの台地上にあり、
台地の東側は断崖状になっていて
伊勢湾を一望できます。
他の三方は谷に囲まれ、
南方は津市街が間近に見られます。
東西230m、南北120mの規模で、
本丸は80m四方の高台です。
低い土塁と北西隅の櫓台状地を
備えています。
東側に二の丸が置かれ、
その東側には幅20m近い
空堀が造られており、
北側に入り込んだ谷は
古図には池と書かれており、
南・西の谷とともに
城を囲む自然の堀を形成していました。
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現在は本城山青少年公園となっています。
本丸跡には二階が資料室となった
展望台が設けられています。
【歴史】
元亀元年(1570年)、
織田信包が津城(安濃津城)の
仮城として分部光嘉に築城させました。
天正8年(1580年)、
津城の完成により、
織田信包が居城を移したため、
分部光嘉が城代となりました。
文禄3年(1594年)に
織田信包が近江へ改易になると、
分部光嘉が城主に任ぜられて
独立した城となりました。
元和5年(1619年)、
分部光嘉の養嗣子光信は
近江国大溝藩へ移封となったため、
廃城となりました。
なお浅井長政が滅亡の後、
浅井長政の妻である
お市の方と娘の茶々・初・江は
織田信包に預けられ、
一時この城で過ごしたと
言われてきました。
けれども、近年の研究によりますと、
当初、お市の方と
三姉妹を保護したのは
織田信包ではなく、
織田信長、織田信包、お市達の
叔父である織田信次で
あることが明らかとなっており、
上野城に滞在していたと
されるのは誤りで、
守山城(尾張国)で
過ごしていたのが
正しいとされるようになりました。
(「溪心院文」)
【本城山青少年公園・所在地】
所在地: 〒510-0304 三重県津市河芸町上野2640
【交通アクセス】
(電車)
近鉄名古屋線「豊津上野」駅から徒歩約20分
伊勢鉄道「伊勢上野」駅から徒歩約20分
(車)
伊勢自動車道「芸濃」ICから約25分
【駐車場】
本城山青少年公園駐車場(無料:50台)
安濃城~中世末期として県内最大級の丘陵城郭、築城は長野一族の細野氏、出自は工藤祐経の三男。
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