【三瀬砦】
北畠家の家臣で、土地の有力者であった
三瀬氏歴代の居城であったといわれています。
大谷川が宮川本流と合する
くちばし状の突端にあって
南・西・北の三方は断崖であり
要害の地となっています。
砦の周囲は高さ約3mの
土塁によって囲まれ、
内部には古井戸もあり
昔の名残をとどめています。
現在は杉が植えられ、
八幡社が祀られています。
例年ですと毎年3月の例祭には
餅撒きが行われているとのことです。
昭和50年3月27日に
県教育委員会から史蹟に指定されました。
北畠氏家臣である三瀬氏の砦で
三瀬館を守護していました。
規模は小さいですが、
土塁や井戸の遺構が
はっきり残っています。
二方は宮川の崖に面しており、天然の要害です。
旧三瀬村と旧下三瀬との
境界を流れる大谷川が、
宮川本流に合流する嘴状の突端に位置し、
南、西、北の三方が断崖状となる
場所に立地しています。
中心部は、周囲に土塁を巡らす
戦国期の城館の面影をよく残しています。
現在は埋没していますが、
東側には空堀があったといわれています。
永禄年間(1558~70)、
長野左京進(ながのさきょうのすけ)
がここに居住したと伝えられています。
【所在地】
〒519-2402 三重県多気郡大台町下三瀬 字川之上506−6
【駐車スペース】
普通車数台分の空き地があります。
三瀬館 ~北畠具教の隠居所で北畠氏が滅亡する「三瀬の変」 の舞台になった場所です。
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