史跡・城跡

鎧橋・鎧の渡し跡~名称の由来は源義家の東征からですが、平将門伝説もあります。

鎧橋・鎧の渡跡



スポンサーリンク



鎧橋・鎧の渡し跡】

【鎧橋】
日本橋川には幾つかの橋が架かっており、
その一つに鎧橋があります。
鎧橋は明治5年にはじめて架けられ、
その頃は橋の上を市電が走っていたとのことです。
現在の橋は昭和32年に架けられましたが、
その後、川の上に高速道路が建設され、
鎧橋自体は川と高速道路の間に
位置することになってしまっています。

鎧の渡し跡 説明板

【鎧の渡跡】
ところで、この地一帯は、
その昔は入江が深く入り込んでおり、
下総方面への渡し場となっていたとのことです。
名称の由来として、
以下のような伝承が残されています。
鎧橋

<名称の由来>
平安時代の永承年間(1046年~1053年)に
源義家が奥州平定の途中、
この渡しに来た時、
急に暴風雨に遭い、
渡しが使えなくなってしまったとか。
そこで、着ていた鎧を脱いで
海神(龍神)に供え祈ったところ、
暴風雨が収まり、
渡ることができたとのことです。
その後、この渡しを
「鎧の渡」と呼ぶようになったとのことです。

鎧の渡し跡 説明板

<平将門伝説>
平将門公の伝説が残り、
平将門自身が兜と鎧を
納めたところと伝えられています。

<江戸名所図絵>
この渡しは、明治5年(1872年)に
鎧橋が架けられたことにより
なくなりますが、
、江戸時代に通されていた
渡しの風景は「江戸名所図絵」などに
描かれております。
また俳句や狂歌等にも詠まれています。
  
 縁日に 買うてぞ帰る おもだかも
     逆さにうつる 鎧のわたし
                和朝亭 国盛

【所在地】
〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町1−1

【近くの神社・史跡】
兜神社
将門塚

兜神社~平将門公にまつわる言い伝えがあり証券界の守り神でもある東京のお社です。

鎧神社~日本武命や平将門公にまつわる伝承があり人々の崇敬を集めてきた東京のお社です。

築土神社と世継稲荷~平将門信仰の象徴的神社と徳川秀忠が称賛した神社です。

将門塚~平将門公の首を祀る塚で大都会の超一等地に鎮座し、現在も静かに見守っています。

関連記事

  1. 若獅子神社 九七式中戦車(チハ車) 若獅子神社~若獅子とは戦時中の少年戦車兵の愛称、帰還戦車・九七式…
  2. 膳所城 膳所城~琵琶湖の浮城~瀬田の唐橋を管理した藩。測量及び基本設計は…
  3. 鎧ヶ淵古戦場碑 善明堤の戦い・鎧ヶ淵古戦場 (黄金堤)~東条吉良氏と松平元康の攻…
  4. 一戦場古戦場(魚見塚一戦場公園) 一戦場古戦場 ~安房に逃れた源頼朝が奇襲にあい、合流した三浦義澄…
  5. 相模国大友郷 相模国大友郷~和田義盛の和田屋敷跡があり、戦国大名の大友氏の発祥…
  6. 毛呂山城跡 長栄寺 毛呂山城跡(毛呂氏館跡)と毛呂一族の墓~源頼朝に仕えた在地領主で…
  7. 北条氏常盤亭跡 北条氏常盤亭跡と北条政村について~鎌倉幕府第7代執権、連署も務め…
  8. 城前寺(小田原) 城前寺~曽我兄弟の菩提寺、曽我兄弟のお墓と養父・曽我祐信と母・満…



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 源頼茂~摂津源氏で在京御家人で鎌倉と朝廷を仲介する立場、後鳥羽院に追討され自害。 京都と線路

ピックアップ記事

  1. 伝・源護館・大串陣営
  2. 慶音寺
  3. 本證寺(城郭伽藍)
  4. 藤波畷古戦場碑
  5. 伊東祐親公の像
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP