【中曽根城】
中曽根城は千葉次郎勝胤によって
築かれた城となっています。
武蔵千葉氏の本拠である
赤塚城の支城だったと
考えられています。
しかしながら千葉次郎勝胤は
下総千葉氏であり、
生まれた年が1471年となっています。
中曽根城を築城した
「千葉次郎勝胤」は
下総千葉氏の「千葉次郎勝胤」とは
別の人物である可能性があります。
戦国時代には、
武蔵千葉氏は小田原北条氏に従っていましたが、
天正18年(1590年)の
豊臣秀吉による「小田原征伐」で
小田原北条氏が滅ぶと
千葉氏も城を立ち去り、
廃城となったと考えられています。
現在城址には
中曽根神社が建てられており、
境内に城址碑があります。
この中曽根神社は、
元々は妙見社であり、
武蔵千葉氏の守り神とされてきたとのことです。
専用の駐車場は無く、付近の道路も狭いため
公共交通機関の利用が望ましいです。
徒歩5分弱の場所にドラッグストアがあり、
その向かいにコインパーキングがあります。
日本城郭大系によりますと、
小田原北条氏の「小田原衆所領役帳」に
千葉殿が下足立淵江に180貫文を
有していたと記されています。
更に、渕江郷を中心に
13か所475貫文の土地を
所領したとのことです。
現地解説板によりますと、
築城した人物は千葉次郎勝胤と
記されています。
千葉勝胤は、下総千葉氏であり
千葉県の本佐倉城の城主であった武将です。
生まれた年代も異なります。
武蔵千葉氏だとすると、
別の人物の可能性があります。
周辺は一段と高くなっていると、
同じく現地の解説板に説明されていますが、
現在は改変も進んでいることもあり、
北千住から向うとむしろやや低地となっています。
梅島方面からではほぼ平地と感覚があります。
足立区のサイトでは、
中曽根神社の地面の下から、
城の堀跡が発掘された際の写真が載っています。
【千葉自胤】
武蔵千葉氏第2代当主です。
室町幕府からは千葉氏当主と
認められていました。
千葉一族内部の家督争いが生じ、
武蔵千葉氏と下総千葉氏に
分裂した際、武蔵に逃れ、
千葉自胤は赤塚城の城主になりました。
その後、渕江郷に移ったとされています。
この渕江郷は現在の足立区域で
千葉自胤は足立区本木にある渕江城(中曽根城)を
拠点としたとの事です。
年代的にも、
千葉自胤は1446年生まれで
武蔵に逃れ赤塚城の築城が1456年なので
赤塚城の支城である中曽根城(渕江城)の築城年も
しっくりくると思われるのですが
どうなのでしょうか?
【縄張形態】
平城
【築城主】
千葉勝胤?
【築城年】
寛正年間(1460年~1466年)
【遺構】
空堀
【交通アクセス】
(電車)
◆東武鉄道伊勢崎線「西新井」駅から
タクシーで10分程度。
◆日暮里・舎人ライナー「扇大橋」駅から
徒歩20分程度。
◆東武スカイツリーライン「梅島」駅から
徒歩25分程度。
◆JR常磐線「北千住」駅から徒歩40分程度。
(車)
首都高速中央環状線「千住新橋IC」から8分程度。
(交通の流れ次第)
【所在地】
〒123-0853 東京都足立区本木2丁目5−7
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