【高徳院】
高徳院は真言宗開祖弘法大師の
高野山(和歌山県)において
9世紀に「高貴徳王菩薩」を
本尊とした寺院として建立されました。
明治時代に入り行政による寺院の整理が進む中、
桶狭間合戦の戦没者の供養と
この地での布教のため
明治26年高野山より
愛知県豊明村(現豊明市)に移転され
現在に至っております。
敷地内には、今川義元の仏式墓所(竹藪の中)や
本陣跡の石碑、
今川軍の重臣であった
松井宗信の墓碑が残っています。
<今川義元公本陣跡>
毎年7月の「土用の丑の日」には、
高徳院きゅうり祭りが開かれます。
身代わりのきゅうりに
名前と住所を書き奉納することで、
1年間の「無病息災」「家内安全」を願います。
事務所で販売されている
きゅうりのお守りも人気です。
【営業時間】
午前9時~午後4時時
【交通アクセス】
●名古屋第二環状自動車道「有松IC」より車5分
●名鉄名古屋本線「中京競馬場駅前」下車 徒歩5分
【トイレ】
建屋はありますが使用できるかは未確認。
【駐車場】
有
【所在地】
〒470-1168 愛知県豊明市栄町南舘3−2
【松井 宗信】
松井 宗信(まつい むねのぶ、
永正12年(1515年)⇒
永禄3年5月19日(1560年6月12日))は、
戦国時代の武将で遠江の国人及び
今川氏の家臣、遠江二俣城主でした。
通称は五郎八郎、のち左衛門佐。
今川義元の近従を勤め、
のちには三河・尾張方面の遠征軍指揮官として
忠節を積みましたが、
桶狭間の戦いにて戦死しました。
永正12年(1515年)、
遠江松井氏の惣領で
遠江国堤城主の松井貞宗の次男として誕生しました。
家督を継いでいた兄の信薫が病死すると、
享禄2年(1529年)に
家督および二俣城主を継ぎました。
今川氏輝、今川義元、今川氏真3代にわたり
家臣として仕え、駿府在番衆を務めたほか、
今川氏の軍略に従い各地を転戦し、
天文16年9月には
天野安芸守とともに
三河国の田原城攻めの最前で
「粉骨無比類」の働きをして
主君である今川義元から感状を受けました。
永禄2年(1559年)2月には
父・貞宗の知行・代官職を
生前譲与される事について、
今川氏真から領掌(了承)の旨の
判物を与えられています。
スポンサーリンク
永禄3年(1560年)、
今川義元の尾張遠征に従軍し、
桶狭間の戦いでは、松井宗信率いる一党は
本陣の前備えに配置されていました。
織田軍が強襲した際には本陣を守るため、
松井宗信は手勢200名を率いて
馳せ戻り懸命に奮戦しましたが、
松井宗信以下ほとんどが
討ち取られたということです。
享年は46歳でした。
今川義元~祝・生誕500年~足利一門の名門・海道一の弓取りと称された東海の覇者!
織田信長について~駆け足で手短にわかる織田信長の49年の華麗で残酷な生涯
沓掛城~9代目城主の近藤景春の時、桶狭間の戦の為に今川義元本隊が出陣した城です。
大高城~松平元康(徳川家康)が兵糧を届け守備につき、本多忠勝が初陣及び元服しました。
この記事へのコメントはありません。