【光鏡院】
曹洞宗 清涼山 光鏡院(こうきょういん)。
瀬名一族の発祥の地
光鏡院は、今川陸奥守一秀の菩提寺で、
長亨2年(1488年)僧・慧雲が
開山した曹洞宗の寺です。
文明8年(1476年)今川六代当主義忠が
不慮の死をとげ、今川一族の間で
竜王丸(今川氏親)派と
小鹿範満派に分れて争いが起ると、
一秀は竜王丸を補佐するため
遠江から瀬名に移り住み、
瀬名氏と改名しました。
以来、今川一秀は瀬名一族の祖となりました。
今川一秀のお墓があります。
通称「瀬名館」といわれる字大屋敷は、
瀬名集落のほぼ中央にあって、
瀬名一秀を祖として
氏貞、氏俊、氏詮四代の
居館跡であったことが
「今川記」に記されています。
今日、遺構は認められてはいませんが、
今川直系を補佐する一族として
瀬名氏の勢力は大きかったとのことです。
【ご本尊】
文殊菩薩(室町時代末期)
【所在地】
〒420-0911 静岡県静岡市葵区瀬名1丁目38−36
【駐車場】
参拝者用の駐車場があります。
梶原山から一本松公園の
背筋コースのの出発地点でもあります。
梶原山公園~梶原景時及び梶原一族の終焉の地、現在は大パノラマと夜景が素晴らしい静岡きっての眺望の地です。
【瀬名砦】
瀬名砦があった場所は
現在は不明とされていますが、
光鏡院ある裏山ではないかと考えられています。
永録11年(1568年)、
武田信玄の駿河侵攻の際に
落城したことが記録にみられるとのことです。
瀬名氏俊陣跡~桶狭間の戦いで今川一族・家臣の瀬名氏俊が先発隊として着陣。
関口氏純(親永)~築山殿の父親であり出自は今川一門の瀬名氏であり今川家の有力家臣でした。
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