城跡

リンナイチャシに行ってきました。チャシはアイヌ語で「砦」のことです。

リンナイチャシと案内板



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チャシ

チャシとはアイヌ語で「砦」のことを指します。
詳細に説明すると、
主に近世にアイヌが築造した
ある種の施設であり、
高い場所に築かれ、
壕や崖などで周囲と切り離された施設です。

<チャシ・崖部分(ユクエピラチャシ)>
チャシ・崖部分

チャシの総数は不明であり、
地名や伝承には残っていても、
チャシの遺構は見つかっていないケースも多いです。

1992年時点では526ケ所の
チャシコツ(チャシ跡)が
確認されているとのことです。

チャシの分布は
東蝦夷地(太平洋側のアイヌ文化圏)と
呼ばれた道南、道東に多く、
特に根室、釧路、十勝、日高地方に集中しています。
これはシャクシャインの勢力圏と
一致している為、
シャクシャインらが
和人と戦う中で多くのチャシが
築かれたのではないかと推測されています。

リンナイチャシとその周辺のチャシ>
リンナイチャシとその周辺のチャシ

チャシがアイヌ族の施設として
一般的であったのは16世紀から18世紀、
つまり近世アイヌ文化期であると
考えられています。
チャシの成立時期は不明ですが、
擦文文化期の遺物や
遺構を伴うチャシコツが
見つかっていないことから、
最も古くても14世紀が限界ではないかと
考える専門家もいるそうです。

【チャシの用途】
チャシの用途については
現在でも諸説あり、結論は出ていません。
チャシが文献に登場するのは17世紀以降で、
殆どが和人の残した記録です。
この時期にはアイヌ族と和人との間で
戦争状態が続いていたこともあり、
和人はチャシを砦として認識していた模様です。
一方、ユーカラではチャシは、
英雄の住居や牢獄などの性格を
与えられていることが多いそうです。




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203ヶ所のチャシコツについて
伝承を調査した結果、
最も多かったのは戦闘に関する伝承で95/203件、
次に多かったのは神や英雄に関する伝承で、
(ポイヤウンペ、オキクルミ、コロポックル、源義経など)
同35件、
その次がカムイミンタラ(神々が遊ぶ場所)や
幣場など聖域であったという伝承で、同22件、
見張り場であったという伝承は17件、
チャランケを行う会談場であったという伝承は4件でした。

現在では、チャシの用途は複数あり、
時代を経るにつれて
チャシの主用途は変化していったと
考える研究者が多いそうです。
最初期のチャシは聖域としての性格が強く、
次いでアイヌ族内での
緊張状態の影響から
チャランケの場として
用いられるようになり、
和人との戦いが激しくなると
軍事施設としての役割が
大きくなっていったとする見方です。
さらに、チャシコツから
宝物が見つかることが多いので、
チャシはアイヌの富裕層が
蓄積した宝物を保存する施設
だったのではないかとの説も唱えられています。

現代ではチャシコツは
観光資源として利用されることもあります。

【チャシの構造】
チャシは基本的には高い場所に築かれ、
壕や崖などで周囲と切り離された施設です。
チャシへの登り口はチャシルと呼ばれています。
チャシルは非常に傾斜がきついのが一般的で、
梯子を使わなければ
入れないようなチャシコツもあるそうです。
1643年にオランダの商船
カストリクム号が残した
記録中のチャシは山の上に
人間の身長の1.5倍ほどの柵を
張り巡らしたもので、
チャシルは急峻な小径となっており、
柵の内部には2~3軒の
住居が存在していたそうです。

チャシの形状の分類法は幾つかあります。
最も広く用いられているのは
以下の4分類であるとのことです。

【孤島式】
平坦地あるいは湖の中に孤立した丘
あるいは島を利用したもの。

【丘頂式】
山や尾根の頂の部分を利用したもの。

【丘先式】
突出した台地(たとえば丘や岬など)
の先端を利用したもの。

【面崖式】
崖地の上に半円形の壕を築き、
その内部をチャシとするもの。

以上の4分類の中では孤島式と丘頂式が古く、
次いで丘先式が現れ、
面崖式が最も新しい形式ではないかと
見られています。

チャシの築造に必要とされた労働力は、
およそ100人から125人/日と考えられています。
一般的なコタンであれば、
チャシの築造には
一ヶ月ほど要したと推測されています。

【リンナイチャシ】

リンナイチャシは網走川の右岸、
比高20m程の丘陵上に築かれた面崖式チャシです。
チャシは丘陵南端の若干、
南方向に張り出した部分を利用して築かれました。
現在見られる遺構の規模は
東西60m、南北20m程です。
内部構造は、東西に細長い丘陵を三段に加工した
平場から成っています。
平場1⇒東西20m・南北7~8m
平場2⇒東西15m・南北5~6m
平場3⇒東西20m・南北5~6m

<リンナイチャシ>
リンナイチャシ

平場1と平場2の間に溝が見られます。
リンナイチャシ・溝

チャシの材料は通称「アイヌコンクリ」と呼ばれる
硬い安山岩割石を粘土で
こねあげて築かれたものとのことです。

リンナイチャシ・丘部分

リンナイの意味⇒
アイヌ語で「川」「波」「潮」を意味します。
このチャシは
「網走川の曲がりのチャシ」なので、
アイヌ語では
「リンナイ・ヌタビ・チャシ」となります。
別名は「ツルライエチャシ」とも呼ばれているそうです。
この意味は「盛り土をした砦」という意味です。
チャシが人工的に造られたもの
であることを指すとのことです。
当時、この地方のアイヌたちは、
モノを作る場合、年を越して工事を続けると
ウエルカムという
悪魔の神が憑りつくという信仰があり、
決して年を越さずに築いたとのことです。




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【所在地】
〒092-0005 北海道網走郡美幌町字野崎

【駐車場】
美幌スポーツセンター

ウェンベツチャシに行ってきました。

ユクエピラチャシに行ってきました。チャシでは最大級の規模の大きさで国指定遺跡です。クマ注意!!

ふるさと銀河線りくべつ鉄道「陸別」駅は「道の駅オーロラタウン93りくべつ」が併設されています。

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