【亀山城】
亀山城は、応永31年(1424年)に
奥平貞俊によって築城されました。
奥平貞俊は、天授年間(1375年~1380年)に
現在の群馬県からこの地に移り住んで
川尻城を築いた後、亀山城を築城して
ここに居城したとされています。
その子孫は、この地で支配者としての地位を確立し、
後に山家三方衆と呼ばれる有力土豪となりました。
16世紀になると、
今川氏、松平氏、織田氏といった
武将の配下を転々としながら、
天正3年(1575年)に
徳川方となって長篠城の城主となった
奥平貞(信)昌の長篠の戦いでの功績により、
奥平氏は歴史に名を残すこととなったのでした。
存続期間については、
応永年間から城主が長篠城へ変わる
天正年間の時期と
慶長7年(1602年)~慶長15年(1610年)に
奥平信昌の四男 松平忠明が
城主となっている2つの時期が知られています。
【立地場所】
この城は、新城市北西部の
山間地にある作手地区の
ほぼ中央部に位置しています。
地形は低い丘陵地に囲まれた
盆地状の土地が形成されています。
立地場所は、戦国時代に
今川・徳川方の拠点であった
吉田城のある東三河平野部や
徳川氏の居城であった
岡崎城のある西三河地域までの
直線距離はほぼ等しく、
東西三河への至る陸上交通の要にあたります。
曲輪の頂部は標高547m、
比高差約30mを測る
半独立性の丘陵上に位置しています。
【縄張りの様子】
中心となる曲輪は
丘陵頂部の東よりに位置し、
東西60m、南北28mの楕円形を呈し、
周囲は土塁で囲まれています。
北側は切岸となっており、
この斜面途中には
腰曲輪状の平坦部が認められます。
南側は上部幅16m、
堀底幅4mの大型の堀を配しています。
この堀は空堀で堀底道としても
利用されていたものと考えられています。
虎口は東西2箇所に設けられています。
東側の曲輪とはスロープ状、
西側の曲輪とは土橋によって連絡しています。
【西側虎口と主郭】
西側の曲輪は、
土橋の前面に土塁状の高まりがあります。
地形からコの字状に
土塁があったものと考えられており、
馬出しであったことが考えられています。
さらに、西側下段や南側には
腰曲輪状の平坦地が配され、
さらに北西方向には
南北に竪堀が延び、
登城道への防備性が高い
構造となっています。
このことから地形に即した
土木工事が行われた
縄張りであったことが考えられています。
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また、馬出しの北側の出入り口は、
現状は平坦地となっています。
けれども古絵図では、
堀と曲輪が描かれており、
このあたりに大手口の伝承も
残されていることから、
現状を注意して見ておく必要があるとのことです。
周辺地への防備については、
わずかに土塁で囲まれた曲輪と
丘陵地が連なる南方に見られる
大きな堀切状の窪地以外、
丘陵頂部の西方や南方には
遺構が認められず、判然とはしていません。
【発掘調査の成果】
中心となる曲輪内で行った
発掘調査の結果から、
16世紀後半の遺物にほぼ限定されています。
生活に伴うような甕や茶碗といった土器が
ほとんど出土しなかったことから、
亀山城は奥平氏の居住的役割でなく、
軍事的拠点であった可能性が高いと考えられています。
【周辺の関連地】
亀山城を中心にして、
周辺にはいくつかの武田氏と
関係の深い城跡が集中して
見られることがこの地域の特徴となります。
元亀年間には、北北東へ1km離れた場所に
武田方によって築城された古宮城跡、
北方正面の山頂には奥平氏の築城とされ
一夜城とも称される文殊山城跡、
さらに尾根続きの東方に
本城山砦と別名のある
武田方が築いたとされる
塞之神城跡が立地しています。
また、ここを中心にして
半径500mの範囲には、
倉屋敷跡、姫屋敷跡、
馬呂遺跡、奥平氏の一族が
居住したとされる石橋城跡、
奥平氏の居住施設ともされる
清岳城屋敷跡、
タイコ屋敷跡など奥平氏に関係する
可能性のある城館跡が
丘陵地に挟まれた帯状に広がる空間に展開しています。
<亀山城 登城口>
道の駅「つくで手作り村」の駐車場奥です。
【所在地】
〒441-1414 愛知県新城市作手清岳大バロ
新城市作手清岳字城山 地内
(道の駅 つくで手作り村に隣接)
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