【備後桜山城(三原市)】
二つあります。
福山市にある備後桜山城が有名です。
今回は三原市にある城です。
三原城(小早川氏城跡)の詰城でした。
【所在地】
広島県三原市桜山町
【遺 構】
曲輪、土塁、石垣、堀切、畝状竪堀、井戸
【形 式】
山城
【築城者】
山名氏と伝わる
【築城年代】
不明
文応~文永年間に山名氏正が居城
(鎌倉時代後期)
【別名】
三原城詰の丸
【櫻山城について】
桜山城は、
三原城北側にある比高170mの
桜山山頂に築かれた山城で、
三原城甲野の丸とも呼ばれています。
広島大学附属三原中学校南東角に
「三原城東大手門跡」の石碑が立てられており、
そこから北へ細い市道を進むと登城口となるそうです。
【櫻山城の構造】
桜山城の縄張りは、
南北に伸びる桜山山頂部に細長く
連郭式に5つの曲輪が配され、
南から三つの曲輪はほぼ高低差はないそうです。
土塁が囲繞して土塁と石塁の食い違いに配され、
井戸の遺構も残っています。
北側先端部の曲輪は、
土留めの石積みがぐるっと
曲輪を囲んであるとのことです。
主郭から北側は3条の堀切で防備を固めています。
一番北の堀切には、
一部石垣が築かれた堅固な構造となっています。
この堀切から東側に回り込むと
横堀と畝状竪堀が構築されていました。
【築城時期】
桜山城は、築城年代や築城者は定かではないそうです。
文応~文永年間
(1260年~1275年頃・鎌倉時代)に
山名氏正が居城していたとのことですが、
弟である山名備中に殺され、
その後、備中を山名氏正の子が討って
再び桜山城に居城したと伝えられています。
【山名氏とは?】
山名氏の本姓は源氏あり、新田氏の一族でした。
新田義重の庶子・三郎義範(または太郎三郎とも)が
上野多胡郡(八幡荘)山名郷
(現在の群馬県高崎市山名町周辺)を本貫として
山名三郎と名乗ったことから、山名氏を称しています。
一方、児玉党の諸氏にも山名氏がありますが、
山名氏正と山名備中の兄弟の出自はよくわかっていません。
関東から下向した山名氏の一族の可能性もあります。
山名氏は室町時代に備後国の守護にもなっています。
【遺構の特徴】
遺構には中世後半の特徴が見られるそうです。
戦国時代の永禄10年に
小早川隆景が三原城を築城しますが、
この時期に背後の桜山城を
三原城の詰の城として修築したと考えられています。
【交通アクセス】
<鉄道>
JR山陽本線・山陽新幹線三原駅~徒歩10分(登城口)
<車>
山陽道三原久井IC~県道25号
<駐車場>
三原駅の有料駐車場を利用。
土肥実平とその妻~武士団「中村党」の中心であり頼朝から厚い信頼を受けた宿老~小早川家の祖。
三原城 (続日本100名城)・小早川隆景が築城した三原の街歩きをしたくなるほど大規模な海城。
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