鎌倉殿の13人

仁田館跡~慶音寺に今も残る土塁と堀。仁田忠常について。

慶音寺



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【仁田館】

【所在地】
〒419-0114 静岡県田方郡函南町仁田164
 
函南町にある仁田館遺跡は、
源頼朝の旗揚げに尽力した仁田四郎忠常の
館跡と推定される遺跡で、
代々の仁田氏の屋敷とされています。

発掘調査の結果、立派な基礎(礎石)をもった
建物跡(江戸時代)や、
井戸(室町時代~江戸時代)、
屋敷の周囲からは幅約4m、
深さ約2mの掘
(安土桃山時代~江戸時代)が発見されました。
また、堀の底には土を堀り残した
仕切りが確認されました。
畝堀と呼ばれるものでこれは
三島市山中城跡など
小田原北条氏に関係した城でも発見されています。
但し、室町時代の以前の遺物は
発見されなかったそうです。
従いまして、この遺跡が本当に
仁田忠常の館跡であるかは、留保とのことです。

しかしながら、仁田忠常の墓と館跡は
現在も子孫を称する一族によって守られています。

現在の仁田館跡の北側には、
堀の内側に土塁と呼ばれる
土を盛った土手が今も残っています。
この北側の土塁と堀が
しっかりとほぼ現存しているとの事です。
慶音寺側から見るとはっきりとわかります。

仁田館跡 土塁 堀

慶音寺境内 土塁 堀

<慶音寺>
【所在地】
〒419-0114 静岡県田方郡函南町仁田164−1

「静岡県史」では、地名に残る「古屋敷」あたりを
館跡と推定しているそうです。
河川改修工事で多くの部分、
特に南東部分が失われて、川の堤防に呑み込まれて
消滅してしまったそうです。

【こけら経】
来光川河川改修に伴う発掘調査では
周囲に堀を巡らせた中世末から
近世の館跡が調査され、
更にはこけら経(867枚) 他多くの
貴重な遺構・遺物が発見されたそうです。

こけら経は、館の北東隅を流れる河川跡から発見され、
保存状態が極めて良好とのことです。
それは写経の筆遣いも観察できる程だそうです。
法華経が写経されていますが、
ひとつ先の字を書きかけたもの
余分な字を消したもの、
脱字を字間に書きこんだもの、
何らかの理由で板が不足し、
1 枚の板に無理やり
2行写経したものがあることから、
写経の正確性はあ
る程度求められていたものの、
完璧な写経を行うというよりは
むしろ、写経する行為自体に
重点が置かれていたものと推測されています。

共伴資料、板の形状、
板の片面に写経する形態から
15世紀半ばから16世紀頃のものと推測されています。

平成17年11月21日に、
県指定文化財に指定されています。

【交通アクセス】
伊豆箱根鉄道「伊豆仁田駅」下車
北東へ徒歩約5分 (約400m)




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<駐車場>
慶音寺や遺跡説明板には
専用駐車場はありませんが、
慶音寺の直ぐ近くにはクリエイト南仁田店があり、
店舗専用の広い駐車場があります。
お買い物も是非どうぞ♪

【仁田忠常】

仁田 忠常(にった ただつね)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将です。
通称は四郎で父母は不詳です。
名は新田忠常とも、日田忠常とも言われ、
「平家物語」では
「にたんのただつね」と読まれています。

【生誕】
仁安2年(1167年)

【死没】
建仁3年9月6日(1203年10月12日)

【別名】
四郎、新田忠常、日田忠常

【墓所】
静岡県田方郡函南町仁田 慶音寺 仁田忠常墓
(現在は私有地内にあるとのことです。)

【仁田忠常とは】
伊豆国仁田郷(現静岡県田方郡函南町)の住人でした。
治承4年(1180年)の源頼朝挙兵に加わっています。
源頼朝からの信任は厚くかったそうです。
文治3年(1187年)正月、
仁田忠常が危篤状態に陥った時、
源頼朝が自ら見舞ったそうです。
平氏追討に当たっては源範頼の軍に従って
各地を転戦して武功を挙げています。
文治5年 (1189年)の
奥州合戦においても戦功を挙げています。
建久4年(1193年)の曾我兄弟の仇討ちの際に、
兄の曾我祐成を討ち取っています。

源頼朝死後は
跡を継いだ二代将軍・源頼家に仕えていました。
源頼家からの信任も厚く、
源頼家の嫡男一幡の乳母父となっています。
建仁3年(1203年)9月2日、
源頼家が危篤状態に陥り、
比企能員の変(比企の乱)が起こると、
仁田忠常は北条時政の命に従い、
北条時政邸に呼び出された
源頼家の外戚である比企能員を謀殺したのでした。

9月5日、源頼家が回復すると、
今度は源頼家から北条時政討伐の命令を受けます。
翌晩、仁田忠常は源頼家の命を受けながらも、
比企能員追討の賞を受けるべく、
北条時政邸へ向かいますが、
帰宅の遅れを怪しんだ弟たちの軽挙を理由に
謀反の疑いをかけられてしまいます。
(いいがかりやん!)
北条時政邸を出て御所へ戻る途中で
加藤景廉に殺害されてしまいました。
享年は37歳でした。

NHK2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では
高岸宏行(たかぎし ひろゆき)さんが演じられます。

大見城跡(伊豆)~鎌倉御家人の大見氏はやがて越後に行き、水原氏から杉原氏となる。

蛭ヶ小島~源頼朝が20年間過ごし北条政子と夫婦となった配流地~

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源範頼~ひそやかに育てられ、兄の源頼朝のために尽力するも嵌められて消えてゆく

加藤景廉~頼朝挙兵以来の側近で承久の乱まで生き残る。長男は遠山氏の祖で有名となった子孫あり!

比企能員~源頼朝を支え有力御家人として権勢を握るも北条氏に嵌められ1日で滅ぶ。

河津三郎祐泰と血塚・伊東祐親の嫡男で曽我兄弟の父親であり曽我兄弟の仇討はここから始まりました。

曽我兄弟の縁の地・富士宮市~井出の代官屋敷・曽我八幡宮・曽我兄弟の供養塔・曽我の隠れ岩・音止の滝 

曽我兄弟の縁の場所(富士市)~化粧坂少将(姫宮神社)・曽我寺・曽我八幡宮・五郎の首洗い井戸

城前寺~曽我兄弟の菩提寺、曽我兄弟のお墓と養父・曽我祐信と母・満江御前の墓があります。

北条義時~鎌倉幕府2代執権~冷酷無情・現実を客観視して行動できる理想家なのか?

御所五郎丸~曽我兄弟の仇討事件で源頼朝の危機を救ったとされている人物です。

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