【西方城】
西方城は宇都宮氏の一族である
西方景泰を祖とする西方氏の居城です。
【築城主にまつわるナゾ】
一説には第7代当主であった宇都宮景綱の
三男である宇都宮泰宗の次男である
宇都宮景泰が
永仁元年(1293年)に築城したと伝わっています。
そして西方姓を名乗ったとされています。
のちに、宇都宮景泰は宇都宮貞泰と改名した様です。
ただし・・・
「宇都宮貞泰」なる人物は「伊予喜多」に行き、
後に「豊前仲津」に移り、
筑後宇都宮氏の祖となっています。
しかも南北朝の時代の人物となっており、
時代が少々ずれています。
となると「西方景泰」なる人物は
誰?ということになります。
ナゾが残ります。
けれども西方氏は宇都宮氏の一族として
代々西方城を守ってきたのでした。
【地理的状況や合戦の歴史】
皆川氏の領域と接する境目の城でした。
永正12年(1515年)、
宇都宮忠綱が皆川宗成との戦いで敗れた際に、
この城も落城しています。
その後、天正13年(1585年)に
宇都宮国綱が佐竹義重の支援を得て
皆川広照から城を奪還しました。
けれども慶長2年(1597年)に
宇都宮氏が改易された際に
廃城になったと見られています。
現在城址は西の丸部分が
ゴルフ場開発のために消滅していますが、
その他の曲輪については
土塁や空堀、竪堀などの遺構が
良好に保存されているそうです。
登城口は東麓の長徳寺にあります。
【曲輪構成】
連郭式
【縄張形態】
山城
【標高(比高)】
221.3m(120m)
【築城主】
伝・西方景泰
【遺構】
曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀、枡形虎口
【築城年代】
鎌倉時代
【廃城年】
慶長2年(1597年)頃
【駐車場・トイレ】
見学者専用の駐車場有(10台分)
仮設トイレもあります。
【所在地】
〒322-0604 栃木県栃木市西方町元
<場所>
青印は駐車場付近です。
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