明智家臣

明智光忠とは 父・明智光久も【麒麟がくる】

明智光忠



スポンサーリンク



明智光忠(あけち-みつただ)は、明智光久の子として戦国時代の1540年に生まれました。
父・明智光久は、明智光綱明智光安の弟となります。
斎藤道三長良川の戦いで命を落とし、1556年、斉藤義龍が派遣した揖斐光就・長井道利らの攻撃によって明智城が陥落すると父・明智光久は行方不明となっています。
最後の最後まで戦い、明智光秀・明智光忠らを脱出させ、そして明智光久と明智光安は討死したともされてます。
ただし、生きていたともされ、明智光秀織田信長の家臣になると、明智光久と子の明智光忠(明智次右衛門)は、明智光秀に仕えたようです。
明智光忠の正室は、明智光秀の2娘ですので、一族の中でも重要な地位にあったことが伺えます。




スポンサーリンク



1577年、丹波攻めにて明智勢は丹波・過部城と篠山城を攻略しますが、そのあと丹波・亀山城の留守を明智光忠が預かっています。
1579年、丹波・八上城を落とすと明智光忠が城主として入りました。

1582年、本能寺の変の際に、明智光秀は、明智左馬助(明智秀満)・藤田伝五・斎藤内蔵助(斎藤利三)ら重臣に計画を打ち明けますが、この時、明智次右衛門(明智光忠)にも話がありました。
そして、明智光忠は、二条城織田信忠を攻めています。
しかし、鉄砲傷を負ったため、明智家にゆかりある京都・知恩院にて療養したようです。
羽柴秀吉との山崎の戦いになると、敗戦の報を受け、近江・坂本城に入ると、6月15日、明智秀満ら一族と共に自刃しました。享年43。
なお、剃髪して長閒斎(ちょうけんさい)と号したともありますが、委細不明です。

あと、細川ガラシャの斡旋なのか?、のち、明智光忠の娘・小也が細川忠興の側室になっています。

明智光継とは 明智光秀のおじいさん?美濃・明智城主
明智光安 明智光秀の父の弟で明智家の当主を代行?
お牧の方(於牧の方) 明智牧 若狭武田氏出身か
明智光綱とは 明智十兵衛(明智光秀)の父親とされる武将
斎藤道三~権謀術数を駆使し大名になった美濃の蝮
丹波・八上城 波多野稙通(波多野元清)と波多野氏の盛隆・八上城の戦い
天下分け目の山崎の戦い 明智光秀は遠慮して負けたか?
細川ガラシャ(明智玉・明智珠)とは
細川忠興 文武両道の名将として戦国の世を
小栗栖の地~明智藪~明智光秀終焉の場所と小栗栖城について

関連記事

  1. 明智光秀公の像と南郷池 亀山城(丹波国)~明智光秀の丹波経営の拠点~やがて本能寺へ向かう…
  2. 明智光秀の妻子まとめ 明智光秀の妻子まとめ 妻と子供の一覧リスト
  3. 明智千代丸 明智千代丸 (明智伊勢千代丸) 小畠国明 小畠永明
  4. 諏訪盛直 諏訪盛直(諏訪飛騨守)~明智光秀家臣~山崎の戦いでの激闘で華々し…
  5. 藤田行政 藤田行政(藤田伝吾)~明智五宿老の一人~常に明智光秀に寄り添い、…
  6. 長浜城 本丸跡 長浜城・琵琶湖北部の要の城・近世城下町の誕生
  7. 福知山城 福知山城~初代城主は明智光秀~領民に慕われた証の御霊会、城代は婿…
  8. 坂本城跡 明智光秀 石像 坂本城・要所かつ豪壮華麗な明智光秀の居城~琵琶湖の浮城~



スポンサーリンク




コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

おすすめ記事

  1. 鳥居元吉~岡崎譜代の忠臣で徳川家康を支え「三河武士の鑑」と称された人物です。 岡崎城

ピックアップ記事

  1. 清龍寺・信康廟
  2. 藤倉舘(会津)
  3. 名熊の二本杉(源頼朝伝説)
  4. 斎藤義龍
  5. 烏山城
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
PAGE TOP