【岩出城】
岩出城は北畠氏の一族である
田丸直昌によって築かれた城です。
直昌は天正3年(1575年)に
北畠家を継いだ織田信雄(信意)に
居城であった田丸城を明け渡すと、
新たにこの城を築いて移りました。
その後、田丸直昌は
蒲生氏郷の妹を正室に迎え、
天正18年(1590年)に
蒲生氏郷が会津に転封になると
付き従っています。
代わって豊臣秀吉の家臣である
牧村利貞が城主となり、
牧村利貞が「朝鮮の役」で病死すると
弟の稲葉道通が跡を継ぎました。
稲葉道通は「関ケ原の戦い」後に
伊勢田丸藩を立藩して
田丸城へ移ったため廃城となりました。
現在城址は農地化されており、
遺構はほとんど残っていません。
【曲輪構成】
輪郭式
【縄張形態】
平城
【築城主】
田丸直昌
【築城年】
天正3年(1575年)
【廃城年】
慶長5年(1600年)頃
【主な城主】
田丸氏、牧村氏、稲葉氏
【遺構】
土塁、堀
【交通アクセス】
(電車)
JR参宮線「田丸」駅から
城址まで徒歩で約45分ほど。
宮川の河岸段丘上にあり。
近鉄山田線「伊勢市」駅から
三重交通バスに乗り「岩出」バス停下車、徒歩約10分
※バスの運行については最新の情報をご確認ください。
(車)
伊勢自動車道「玉城」ICから約10分
【所在地】
〒519-0425 三重県度会郡玉城町岩出2179
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