城跡

新宮城~源行家の姉の丹鶴姫が住んでいた地、続日本100名城で国の史跡。

新宮城跡



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新宮城

 
新宮城(しんぐうじょう)は、
和歌山県新宮市にあった日本の城です。
別名は丹鶴城(たんかくじょう)。
また、沖見城(おきみじょう)とも称されました。
城跡は「新宮城跡附水野家墓所
として国の史跡に指定されています。
新宮城跡

【別名】
丹鶴城・沖見城

【城郭構造】
平山城

【天守構造】
3層5階(非現存)

【築城主】
浅野忠吉

【築城年】
元和4年(1618年)

【主な改修者】
水野重仲(重央)・水野重上

【主な城主】
浅野氏水野氏

【廃城年】
明治6年(1873年)

【遺構】
天守台・石塁

【指定文化財】
国の史跡

【熊野川と新宮城】
新宮城は、熊野川沿岸の
田鶴原(たづはら)と呼ばれたあたりの
小高い丘である丹鶴山
(現在の和歌山県新宮市新宮字丹鶴)
に築かれた平山城です。
熊野川
別名・丹鶴城の由来は、
その昔、この地に源為義と
熊野別当の娘の子である
丹鶴姫の住まいが
あったことによるとのことです。
ちなみに、「堀内新宮城
(別名・堀内屋敷)を築城した堀内氏以前に、
熊野地方を統治した新宮氏の祖とされる
新宮十郎行家(源頼朝の叔父)は、
丹鶴の弟となります。

源行家~平治の乱から熊野に隠れて20年、交渉力はあるが戦下手で、武将よりも別の才能があった人物。

堀内氏時代の「堀内新宮城」
(堀内屋敷)の城跡は、
全龍寺の境内となり、
寺の西側に水堀が
残っているとのことです。

堀内氏屋敷~堀内新宮城とも呼ばれた熊野水軍の将であった堀内氏善の居城跡です。

現在の地に築城したのは
浅野忠吉です。
一国一城令により一度廃城した後、
水野忠吉が再築城した新宮城には、
大・小の天守や二ノ丸
(水野氏時代には鐘ノ丸)などがありました。
松ノ丸のある姿となったのは
水野2代重良の頃となります。
浅野・水野氏時代の
「新宮城」の城跡には、
切込み接ぎ(きりこみはぎ)の
石垣のほかに
打込み接ぎ(うちこみはぎ)の
石垣も残されています。
新宮城跡 石垣
昭和27年(1952年)には、
新宮城本丸周辺は
民有地となっており、
当時旅館業を営んでいた業者が
旅館「二の丸」入口
(登坂〈とさか〉側登り口。
本来の水野氏時代の二ノ丸は、
現在の正明保育園の場所に位置)と
本丸を結ぶケーブルカーを
運行していましたが、
ケーブルカーは昭和55年(1980年)
に休止し、1990年代に
正式廃線となりました。
現状は、民有地時代の
ケーブルカー跡なども残っていますが、
本丸のほか主な城域が
公有地化されて丹鶴城公園となっており、
和歌山県朝日夕陽百選」にも
選定されています。
地下には紀勢本線のトンネルが
通されています。
また、東側の一部は
天理教南海大教会の
敷地の一部になっています。
現在、新宮市では
天守の再建も視野に入れた
整備計画が進行中であるとのことです。




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【歴史】
もともと田鶴原と称されたこの地には、
平安時代末に熊野三山を支配した
熊野別当の別邸が建てられ、
その後代々が居住したといわれています。
源為義は、熊野別当の娘のもとに通い
1女1男をもうけました。
その女子が丹鶴山および
丹鶴城の別名の由来となった
丹鶴姫であるとのことです。
丹鶴はのちに熊野別当第19 代となる
行範(ぎょうはん)に嫁ぎ、
行範が死去すると剃髪して
鳥居禅尼と名乗り、
大治5年(1130年)、
丹鶴山に夫の菩提を弔う
東仙寺を建立しました。
新宮城の歴史

【安土桃山時代】
【堀内氏】
堀内氏の「堀内新宮城」(堀内屋敷)は、
天正年間(1573年⇒1593年)に
熊野地方を統治した
堀内安房守氏善が構えた平城です。
その城跡は、新宮市千穂にある
全龍寺(新宮城主・水野重仲〈重央〉の菩提寺)
に位置し、西側に水堀の一部が認められています。
この堀内氏の居城は、
堀内氏が関ヶ原の戦い
西軍方についたため、
東軍(徳川)方に寝返った
桑山一晴により攻略されました。
ちなみに、全龍寺の近くにつけられた
「取出町」という地名は、
堀内安房守氏善の砦が
あったことによるといわれています。

【浅野氏】
代わって慶長6年(1601年)、
紀州藩主となった浅野幸長の重臣である
浅野忠吉が築城を開始し、
丹鶴山にあった東仙寺および
香林寺(崗輪寺〈堀内氏時代以前〉、
熊野速玉大社の神宮寺。現・宗応寺)
を移転させ、翌慶長7年(1602年)に
城を築きました。

【江戸時代】
元和元年(1615年)、
一国一城令により廃城となりました。
その後、元和4年(1618年)に
再び築城が認められると、
浅野忠吉は熊野川沿岸の
新宮城の再築に着手しました。

【水野氏】
元和5年(1619年)、
完成を前に、浅野氏は
備後三原の三原城
(現在の広島県三原市)へ転封し、
徳川頼宣が紀州藩主として入国して以後、
付家老・水野重仲(重央)が
城主となりました。

三原城 (続日本100名城)・小早川隆景が築城した三原の街歩きをしたくなるほど大規模な海城。

水野重仲は浅野氏の築城を継続し、
2代重良の時代の寛永5年(1628年)に
城下の田地であった伊佐田(いさだ)に
堀を設け、城は寛永10年(1633年)に
完成しましたが、その後も3代重上が
石塁などを造築し、
寛文7年(1667年)、
現在に見られる近世城郭が完成しました。




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【度々の災害】
寛文4年(1664年)、
地震により松ノ丸が崩れています。
また宝永4年(1707年)の
宝永地震による石垣などの被害は、
幕府に届け出るため
宝永5年(1708年)に作成された
「紀州新宮城絵図」に見られ、
翌年の宝永6年(1709年)に
大補修工事がなされています。
さらに、文化5年(1808年)には
暴風雨により被災しています。

【明治時代】
水野氏の居城として明治維新を迎えました。
明治2年(1869年)、
水野忠幹の封土奉選後、
新宮城の下屋敷に
新宮藩の藩庁が置かれ、
明治4年(1871年)7月(8月)には
廃藩置県により旧藩庁に
新宮県庁が置かれましたが、
明治4年(1872年1月)11月に
和歌山県と合併しました。
明治6年(1873年)の廃城令より、
天守などの建物を払い下げ、
明治8年(1875年)までに
すべて取り壊され、
旧材は寺院などに転用されました。
明治24年(1891年)には
二ノ丸(上屋敷)跡に
天理教南海大教会が開設され、
昭和47年(1972年)に移転すると
天理教会婦人部が経営する
現在の正明保育園が開園しています。

【大正時代】
大正9年(1920年)、
伊佐田池(いさだのいけ)とも
呼ばれる堀の埋め立てが着工され、
大正11年(1922年)には
大部分が「丹鶴町」として
造成されました。

【昭和時代】
【鐘ノ丸に造られた庭園】
昭和27年(1952年)、
鐘ノ丸跡を中心とした
民営の旅館「二の丸」が開業し、
日本一短いといわれた
ケーブルカーや遊具が設置され、
ビアガーデンも開設されました。
ケーブルカーは昭和29年(1954年)に
建設されたものでした。
その後、昭和54年(1979年)10月に、
旅館のあった鐘ノ丸や松ノ丸を除き、
新宮市が本丸跡および
登城道の全範囲を買収しました。
昭和55年(1980年)には
主要部分を買収し、丹鶴城公園として、
本丸・出丸・鐘ノ丸・松ノ丸跡
などの整備が開始されました。
ケーブルカーの運行は、
昭和55年(1980年)11月、
皇后美智子妃(当時)の
訪問時が最後となりました。




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【本丸の石垣】
昭和58年(1983年)10月、
江戸千家を創始した茶人である
川上不白の顕彰碑が、
天守台のあった石垣の下に
建立されました。
不白は享保4年(1719年)に
水野氏の家臣のもとに生まれ、
碑には不白が好んだという
「清風生蓬莱」の文字が
彫られています。
昭和60年(1985年)3月には
「丹鶴姫之碑」が本丸跡に備えられ、
昭和61年(1986年)10月には、
村井正誠の揮毫による
与謝野寛の歌碑が建立されました。
新宮城 与謝野寛の歌碑

【平成時代】
2003年8月27日、
新宮城跡は水野家墓所とともに
「新宮城跡附水野家墓所」として
国の史跡に指定されました。
2017年4月6日には、
続日本100名城(167番)に
選定されています。

【構造】
新宮城は、和歌山県の東南端、
熊野川の右岸に位置する
丹鶴山に築かれました。
正保年間(1645-1648年)に、
諸藩が幕府に提出した
正保城絵図の一つである
「紀伊国新宮城之図」には、
熊野川に突き出た新宮城の縄張と
その城下町が描かれています。
その絵図によりますと、
城山には、天守台と本丸、
分離した出丸、鐘ノ丸、
松ノ丸があり、西側の山麓には
二ノ丸(上屋敷)や下屋敷、
また、水ノ手の船着き場まで
上下連郭式に配置され、
現状とほぼ同様の構造が
描かれています。
新宮城 案内図

寛文7年(1667年)、
増築は水野3代重上により完成し、
規模は、東西180間(約324m)、
南北110間(約198m)、
周囲540間(約972m)
であったといわれています。
北側は熊野川に面し、
また、南側には東西75間(約135m)、
南北45間(約81m)、
深さ1間半(約3m)の堀が
造られていました。

【本丸】
東西180間(約324m)、
南北115間(約207m)。
城郭の中心として北東の最高所
(標高約60m)に位置し、
北面には正保城絵図に
記されていない搦手の枡形虎口が残っています。
本丸の南端には天守台が設けられ、
3層5階と推定される
天守閣があったといわれています。
天守台の石垣は、昭和20年代に崩壊しました。




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【出丸】
本丸の北西に突き出た長方形の別郭で、
熊野川や水ノ手を見下ろす位置にあり、
本丸側に面して入口の石段が見られます。
浅野氏の時代には本丸とつながり
その間に城門があったとのことですが、
水野氏の時代には完全に切り離され、
本丸側の石積みには
橋を架けた部分を埋めた
改修の跡が認められています。

【鐘ノ丸】
本丸の南西部にあり、
浅野氏の時代には二ノ丸でした。
切込み接ぎ布積みの石垣や
桝形虎口跡が残ります。

【松ノ丸】
鐘ノ丸の西側に付属し、
虎口跡が残ります。

【二ノ丸】
東西32間(約58m)、
南北28間(約50m)。
西側の山麓にあり、
浅野氏の時代は三ノ丸でしたが、
水野氏の時代には二ノ丸(上屋敷)となり、
大手道が北側から松ノ丸へと通じていました。
また、道路を挟んだ現在の市街地(NTT跡)には
下屋敷があったそうです。
二ノ丸跡には、花崗岩による
算木積みの石垣が残っています。

【水ノ手】
水ノ手には、北側の熊野川に面した
船着き場が置かれていました。
1994年)、水ノ手で行なわれた
調査において、13棟の炭納屋群跡が発掘され、
水野氏の時代に備長炭を
江戸の市場に送り
財源を得る拠点であったことが
認められています。
新宮城 水ノ手跡
スタンプは、阿須賀神社境内の
資料館にあったそうです。
入り口すぐの所に置かれていたとのこと。
館が休みの時は
観光案内所の方に置かれるとのことなので、
確認が必要です。
新宮駅前の「新宮市観光協会」にて
パンフレットを入手されてからの攻城が
より楽しめるとのことです。
朝9時より営業しています。
お城は多様な石垣の中に69もの
刻印石があるとのことです。
水の手は特におすすめ箇所とのこと。

【駐車場】
あり(無料)
丹鶴公園駐車場

【トイレ】
あり

【休憩所】
あり

【交通アクセス】
(電車)
JR紀勢本線「新宮」駅から徒歩約20分
(車)
伊勢自動車道「伊勢」IC⇒ 国道42号線

【所在地】
〒647-0081 和歌山県新宮市 丹鶴三丁目
和歌山県新宮市新宮字丹鶴7688-2

滞在所要時間:20分~

鵜殿城~三河の鵜殿長照やお田鶴(椿姫)のご先祖の地、鵜殿氏は熊野別当が出自とされています。

赤木城~築城は藤堂高虎で続日本100名城に選定、田平子峠刑場跡と共に国の史跡に指定されています。

田丸城~続日本100名城、南朝拠点として北畠親房、北畠顕信が築城、後に同一族の田丸氏が入城し織田信雄に明け渡しました。

熊野速玉大社~元宮は巨岩のゴトビキ岩がある神倉神社、境内にはナギの巨木があり世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

熊野那智大社~世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部、熊野三山です。

青岸渡寺~世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部で西国三十三所第1番札所です。

那智の大滝・飛瀧神社~滝をご神体とする自然信仰の聖地、日本三名瀑で世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

鬼ヶ城~国の名勝で天然記念物、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部の海岸景勝地です。

花の窟神社~伊弉冉尊の葬地と伝わる磐座信仰のある巨岩、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

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