城跡

西尾城~城独自の特徴として二ヶ所の屏風折れがある土塀があります。

西尾城址(三河国)



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【西尾城】

 
西尾城(にしおじょう)は、
三河国幡豆郡西尾
(現在の愛知県西尾市錦城町)にあった日本の城です。
別名は、「鶴城」、「鶴ヶ城」、「錦丘城」など。
また、「西条城」が旧称とさていますが、
その改名時期については諸説あるとのことです。
西尾城址 本丸丑寅櫓

【別名】
鶴城、鶴ヶ城、錦丘城、西条城

【城郭構造】
梯郭式平山城

【天守構造】
(1585年築・非現存)
複合式望楼型3重4階
(1645年頃改・非現存)

【築城主】
足利義氏

【主な城主】
吉良氏酒井氏、大給松平家など

【廃城年】
明治11年(1878年)

【遺構】
曲輪、石垣、土塁、堀

【指定文化財】
市史跡

【再建造物】
丑寅櫓・門(復元)

【西尾城について】
西尾城の歴史は古く、
承久の乱(1221年)の戦功により
三河国守護に任じられた
足利義氏が築城した、
西条城が始まりであると
「西尾城郭覚書」にて伝えられています。

足利氏はその後吉良氏と名を改め、
この吉良荘を統治します。
創建当時、中世期の規模については
不明であるそうです。

戦国時代の頃は、
城主が牧野成定、酒井正親、
田中吉政と入れ代わり、
これに従って城域も
拡大していきました。

天正13年(1585年)に
家康の命により「三河の人夫を挙げて」
城が築かれ
(「三川物語」「家忠日記」)
酒井重忠によって、
東の丸と帯曲輪の拡張と
堀や石塁の造成、
櫓門、櫓類、天守などが
増築されました。
天正18年(1590年)、
田中吉政によって、
三の丸の拡張や大手黒門、
新門の楼門2棟、
櫓門2棟が建てられています。
このとき東の丸にあった大手門は、
太鼓門と改称されています。




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1657年当時の城郭構造は
梯郭式の平山城で、
西南部から本丸、二の丸、姫の丸、
北の丸、東の丸、三ノ丸、
それを取り囲む惣構えが
構えられていたとのことです。
本丸には3重櫓と3棟の2重櫓、
二の丸には1棟の2重櫓、
南東隅に複合式望楼型3重の
天守が建てられ、
北の丸、東の丸、三の丸に
それぞれ2棟の2重櫓が
建てられていました。

天守は元々、本丸の北東隅に
建てられていたと
考えられており、1585年の
改築のときか或いは
正保2年(1645年)頃までに
天守を本丸から移したといわれています。
酒井正親による初代天守については、
1585年に二の丸天守が
建てられた後も
本丸隅櫓として
残されていたとしています。

【城趾の現況】
本丸、二の丸跡の一部は、
西尾市歴史公園として整備されています。
1975年10月、
元西尾市長の杉浦喜之助氏の死去後、
その遺志により西尾市は
多額の寄付を受け、
昭和52年(1977年)8月、
姫の丸跡に西尾市資料館を建てました。
東の丸跡は、
西尾市立西尾小学校の
敷地に利用され、それ以下は
住宅地や市街地となっています。
西尾市歴史公園

【本丸丑寅櫓】
西尾城の特色は、
天守が本丸ではなく二の丸にあり、
城下に士農工商が混在していたこと、
「総構え)」といって
城下町の周囲を堀と土塁で囲んだことです。

城郭図や平成6年の発掘調査によって
平成8年に再建された
本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)は、
本丸の丑寅(北東)の隅に建てられた櫓で、
城内の隅櫓のうち一番高い建物でした。
三層、高さ約10mの木造本瓦葺、
壁面上部は漆喰塗籠、
腰部は下見板張りとなっています。
西尾城址 本丸丑寅櫓

【鍮石門】
間口約9m、奥行き約5m、
高さ約7mの堂々たる楼門に
再建された鍮石門(ちゅうじゃくもん)は、
城主の居所である
二之丸御殿に至る表門でした。
その名前から、扉に真鍮が
飾られていたとも言われています。
西尾城址 鍮石門

【西尾市歴史公園】
1996年に本丸丑寅櫓(3重櫓)、
二の丸鍮石(ちゅうじゃく)門、
本丸と二の丸の土塁や堀などを復元し、
歴史公園として整備されています。

2020年6月26日、
二の丸丑寅櫓と土塀の復元工事が完成しました。
西尾城址 二の丸丑寅櫓と土塀

この土塀は二ヶ所の屏風折れがある
全国的に珍しいものとなります。
西尾城址
二ヶ所の屏風折れがある土塀

さらに天守の再建が計画されて、
すでに天守台は完成しています。
西尾城址 天守台

御剱八幡宮
(みつるぎはちまんぐう)
西尾城本丸跡に鎮座する神社で、
古くは文徳天皇の皇子である
八条院宮が渥美郡伊川津から
当地へ移り住んだ際に
松山(現在の山下町東八幡山あたり)
へ遷座し、
のち承久年間(1219年~1222年)に
三河国守護である足利義氏が
西条城を築城する時に現地へ移し、
源家相伝の宝剣・髭切丸と
白旗一流を納めたと伝えられています。
御剱八幡宮 西尾城址

城内鎮護の神社として
歴代城主の尊崇が篤く、
社殿前には城主が寄進した
石灯籠が立ち並んでいます。
現在の本殿・拝殿は一間社流造檜皮葺。
延宝6年(1678年)に
当時の西尾城主・土井利長が
再建したもので、
市の文化財に指定されています。
永禄7年(1564年)に城主であった
酒井政家によって寄進された鰐口は、
銘文に「西尾」の地名を使用した
最古の遺物で、
市の文化財に指定されています。




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城下の産土神である
伊文神社の祇園祭では、
江戸時代の半ば頃から
御剱八幡宮への神輿の渡御が行われ、
この時だけは領民も
城内へ入ることが許されたとのことです。

<旧近衛邸>
西尾市歴史公園内には、
六万石城下町の象徴となる
歴史的建造物の他に、
茶の湯文化を伝える
旧近衛邸も再建されています。
京から移築された旧近衛邸は、
摂家筆頭として左大臣を務めた
近衛忠房に嫁いだ夫人の縁で、
島津家によって
江戸後期に建てられたものです。
書院と茶室からなっています。
六畳の茶室は、床框(とこがまち)が
ひときわ高く、
点前座の奥に床の間を構えた
「亭主床」という特異な構成で、
瀟洒な花釘や花明窓が
用いられた公家の茶の湯にふさわしい
品格を感じさせるものです。
旧近衛邸ではお抹茶のサービス
(季節の和菓子が付いて一服450円)
が行われています。
書院や縁側から庭園を眺めながら
のんびり一服できます。

【歴史】
<承久年間(1219年~1222年)>
三河国守護に任じられた
足利義氏が築城した
西条城が始まりとの伝承があります。

<弘治3年(1557年)>
西尾城の存在が認められます。

<永禄4年(1561年)>
酒井正親が城主となるりました。

<天正13年(1585年)>
城主が酒井正親の子、
酒井重忠の時に徳川家康の命により
改修され、二の丸に天守が築かれました。

<天正18年(1590年)>
酒井重忠が徳川家康の関東移封に従うと、
近江国より転封し岡崎城主となった
田中吉政が西尾城主も兼ね
大手門や櫓門を増築しました。

<慶長6年(1601年)>
本多康俊が表高2万石で
初代西尾藩主として入城。
以降、松平成重、本多俊次と続きます。

<寛永15年(1638年)>
太田資宗が表高3万5千石で入封。
城下町を囲む総構えの工事に着手します。

<明暦3年(1657年)>
井伊直好(1645年・正保2年に入封)が
総構えを完成させました。
以降の藩主は増山氏2代、
土井氏4代、三浦氏2代と続きます。

<明和元年(1764年)>
出羽国山形藩から
松平乗祐(大給松平家)が
表高6万石で入封。
以降5代続きます。

<明治2年(1869年)>
最後の藩主となった松平乗秩が
版籍奉還をします。

<明治4年(1871年)>
西尾県の県庁が置かれますが、
同年に額田県に併合されます。

<明治5年(1872年)>
天守以下の建物が解体される。
明治11年(1878年)
西尾城が廃城となります。

<平成7年(1995年)>
近衛家の数奇屋棟と茶室棟が
移築されます。

<平成8年(1996年)>
本丸丑寅櫓と鍮石門が再建され、
西尾市立歴史公園が開園されました。

<2020年6月26日>
二の丸丑寅櫓と
土塀の復元工事が完成しました。
西尾城址 二の丸丑寅櫓と土塀

【交通アクセス】
名鉄西尾線西尾駅下車徒歩15分。
六万石くるりんバス平坂中畑線または
寺津矢田線で4分、
「歴史公園北」下車、徒歩2分

【所在地】
本丸丑寅櫓・二之丸丑寅櫓・鍮石門・旧近衛邸 
西尾市錦城町231番地1

尚古荘 
西尾市錦城町176番地1他

【駐車場】
西尾市立歴史公園・駐車場があります。
50台分駐車可能(普通車)で無料。

【トイレ】
男女別の水洗トイレがあります。




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<西尾市立歴史公園利用時間>
午前9時から午後6時
(10月~3月は午後5時まで)
(部屋の貸切利用は午後10時まで)
※「抹茶ラボ 西尾伝想茶屋店」の営業時間は、
午前10時から午後5時まで。

<呈茶時間>
午前10時から午後4時

<本丸丑寅櫓の内部公開>
午前9時30分から午後4時
※二之丸丑寅櫓は内部に入ることができません。
西尾城址 本丸丑寅櫓入口

<西尾市資料館>
西尾市資料館

<休園日>
月曜日(祝日・休日にあたる場合は開館します)
12月29日から翌年1月3日

御城印・御城印帳は旧近衛邸で販売しています。
<販売時間など>
令和3年5月1日(土曜日)から 
※旧近衛邸の休館日
(祝日を除く月曜日、年末年始)
午前9時から午後4時まで
郵送による対応はしていません。

滞在所要時間:20分~1時間30分程度

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