【館山城】
館山城(たてやまじょう)は、
千葉県館山市館山にあった日本の城です。
館山市指定史跡となっています。
【別名】
根古屋城
里見城
【城郭構造】
連郭式山城
【天守構造】
3層(非現存)
複合式望楼型3重4階(昭和57年 模擬)
【築城主】
里見義康
【築城年】
天正8年(1580年)
【主な城主】
里見氏
【廃城年】
慶長19年(1614年)
【遺構】
曲輪、堀切、空堀・水堀、模擬天守
【指定文化財】
市指定史跡
【再建造物】
模擬天守
天正8年(1580年)、
里見義頼によって館山城が築城されました。
天正19年6月から
11月までの間にかけて、
里見義康が岡本城から館山城へ移転をしてきました。
湊を伴う城であったと指摘されています。
その後、慶長19年(1614年)に
里見氏は改易され、
館山藩は取り潰しとなりました。
この際に館山城も廃城となり、破却されました。
<里見桜の由来>
この説明の隣に里見桜があります。
桜が冬仕様なので撮影はしていません。
後に天明元年(1781年)、
稲葉正明が館山藩主となって
館山に入ってきましが
城を再建することはなく、
2代の稲葉正武が
城の麓に館山陣屋を構えて、
そこを新たな政庁としたのでした。
昭和57年(1982年)、
模擬天守が建設されるにあたり、
城跡の発掘調査や
里見氏に関する古文書調査が行われました。
模擬天守閣と同時に市立博物館が建設され、
模擬天主閣で南総里見八犬伝を展示紹介し、
市立博物館で里見氏を展示紹介しています。
周辺の緑地などは城山公園となり、
市民の憩いの場ともなっています。
また、さくらや紅葉の名所、
鳥を見物できる施設もあり、
一つの観光名所ともなっています。
頂上までは70mと低いため、
気軽な散歩として利用する人も多いとのことです。
城下には、館山市立博物館本館があります。
ほか、特産品の販売や飲食の提供、
情報発信機能をあわせ持った
施設である(和風の売店)「里見茶屋」が
あります。
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【分館 館山城八犬伝博物館】
<開館時間>
午前9時~午後5時
<定休日>
月曜と年末年始
<観覧料>
一般・高校生:400円
小・中学生:200円
「八犬伝博物館」と称し、
南総里見八犬伝に関連した資料を
展示しています。
※下の写真は本館のイベントです。
【交通アクセス】
(電車)
JR東日本内房線「館山駅」下車、
西口から徒歩約10分程度。
(車)
富津館山道路「富浦」ICから
車で約15分程度。
【駐車場】
城山公園の駐車場があります。
無料です。
トイレもあります。
【八遺臣の墓】
元和8年(1622年)に倉吉(鳥取県)郊外で
没した里見忠義に8人の家臣が殉死しました。
その遺骨を分骨し、
この地に供養したものと伝えられています。
城山公園の南麓にあり、
丘陵斜面の横穴が埋没して
奇妙な形をしていたため、
「姥神様(うばがみさま)」とよばれて祀られ、
かつて多数の人々が
お参りしていたそうです。
伯耆国倉吉において、
里見氏十代目にして
最後の当主となった里見忠義の死に際して
倉吉随従の家臣たち数名が殉死しました。
後日、これを伝え聞いた安房の里見の旧臣が
漁師姿に身をやつして伯耆に出向き、
蛸壺に分骨して持ち帰り、
ここに埋めたのだと伝えられています。
また、江戸時代の文豪である、
曲亭馬琴が書いた「南総里見八犬伝」の
「八犬士」のモデルにされたともいわれています。
(城山公園)入園無料
※模擬天守からは結構歩きます。
落ち葉が多い場所を下っていくので
足元にお気をつけ下さい。
<案内>
この案内がある向いが
八遺臣の墓への近道となります。
【所在地】
〒294-0036 千葉県館山市館山
所要時間:40分~(博物館入らず)
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