【離室城】
離室城跡(はなれむろじょうあと)
康暦2年(1380年)、
宇都宮氏の著しい躍進と
外交手段により塩原に進入してきた
君島信濃守(きみしましなののかみ)は
塩原温泉を守護するため、
新たに出城を造り「離れ室」と称しました。
この城は、前方を箒川に巻かれ、
後ろには山を背負い、
眼下に塩原の盆地を一望することができ、
守りに堅く、攻めるに困難な「地の利」を
しめた地勢であったとのことです。
城郭は東西約50メートル、
南北約36メートルです。
本丸を中心に北西には
箒川の流れに沿って外堀を、
東は緩やかな地形に沿って
土塁と空堀(からぼり)を、
南は富士山に対して
土塁と空堀を設けており、
規模は小さいながら
山城の形態をよく残しています。
【構造】
山城
【築城主】
君島信濃守
【築城年】
康暦2年(1380年)
【主な城主】
君島氏
【遺構】
曲輪、土塁、横堀(空堀)
【指定文化財】
市史跡(離室城跡)
【所在地】
〒329-2921 栃木県那須塩原市塩原1450−1
※城跡は私有地の為、立ち入りは不可、とのことです。
【君島氏】
系図によりますと、
桓武平氏千葉氏から分かれた
大須賀氏の一族となっています。
宝治元年(1247年)、
北条氏と三浦氏が合戦におよんだ
「宝治合戦」では三浦一族と親戚であったため、
三浦氏側について北条氏と敵対しました。
敗戦後は、鎌倉を出奔して
下野の宇都宮頼綱を頼り、
下野国芳賀郡君島村に住んで
「君島」と改めたとのことです。
以後、君島氏は下野国に定住し、
代々宇都宮氏などと縁組みを重ねて
強固な地盤を築きあげ、
黒磯方面にまで勢力を
拡げていったとのことです。
南北朝の頃は新田義貞に属していましたが、
北朝の足利尊氏に寝返っています。
そして宇都宮氏家中において
千葉氏流大須賀党を形成し、
やがては宇都宮家中に
重きをなしていったとのことです。
文明7年(1475年)、
戦場(せんば)の戦いで、
南山・長沼氏(小山氏)の一族とされる
橘伊勢守に敗れました。
その後は茗荷沢に移り、
子孫は温泉旅館を経営しているとの事です。
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