本多忠勝
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稲(小松姫)~本多忠勝の愛娘で真田信幸(信之)の正室、男勝りで利発で良妻賢母という戦国期の理想の女性。
【稲(小松姫)】小松姫(こまつひめ、天正元年(1573年)⇒元和6年2月24日(1620年3月27日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。上田藩および松代藩の初代藩主である真田信之(信幸)の正室です。徳…
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真田信幸(信之)~真田昌幸嫡男で真田家存続の功労者、信濃松代藩は江戸期を続き明治維新を迎えました。
【真田信幸(信之)】真田 信幸(信之)(さなだ のぶゆき)は、戦国時代から江戸時代前期の武将…
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桑名城~築城の起源は永正10年、関ヶ原の戦いの後に本多忠勝が入封し城郭を建造しました。
【桑名城】 桑名城(くわなじょう)は、三重県桑名市にあった日本の城です。江戸時代は伊勢桑…
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長久手古戦場公園~徳川家康VS羽柴秀吉の小牧・長久手の戦いのうち主戦場となった長久手の戦いの場所。
【長久手古戦場公園】 天正12年(1584年)に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と徳川家康が激…
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万喜城~築城は上総土岐氏と伝えられており、本多忠勝が一時居城していました。
【万喜城(まんぎじょう)】万喜城(まんぎじょう)は、上総国夷隅郡(現在の千葉県いすみ市万木)…
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忠勝公園~本多忠勝公、正室、次男で大多喜藩の第2代藩主である本多忠朝公の墓があります。
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大多喜城~築城は真里谷信清、徳川四天王の本多忠勝が城主となり今日の大多喜城となります。
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本多忠真~本多忠勝の叔父で甥の本多忠勝を最強の武士に育て上げ、三方ヶ原の戦いで散ります。
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榊原康政~徳川四天王、部隊の指揮に優れ能筆家で、井伊直政・本多忠勝とは特に仲が良かったとされています。
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大高城~松平元康(徳川家康)が兵糧を届け守備につき、本多忠勝が初陣及び元服しました。