鎌倉殿の13人
-
鐙摺山(鐙摺城址)とは?小坪合戦(畠山VS三浦)・伊東祐親終焉の地・亀の前居住・源実朝が一句・三浦道寸が物見
【鐙摺山(あぶすりやま)】葉山の鐙摺城址(鐙摺山)は、旗立山とか軍見山とも呼ばれています。源頼朝に何かとゆかりが深く、鐙摺の名は、源頼朝がこの城を訪れた際、道が狭くて馬の鐙(あぶみ)を摺(す)ったことに由来しているそ…
-
畠山重保~畠山重忠の嫡男「六郎さま」・訳も知らぬまま謀反の疑いをかけられあえなく散る。
【畠山重保】畠山 重保(はたけやま しげやす、生年不詳 - 元久2年6月22日(1205年7…
-
比企能員~源頼朝を支え有力御家人として権勢を握るも北条氏に嵌められ1日で滅ぶ。
【比企 能員】比企 能員(ひき よしかず)は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将です。鎌倉…
-
せつ(若狭局)~比企一族で源頼家の妻で一幡と竹御所の母~大蛇となり比企ヶ谷を護る存在となった。
【若狭局】若狭局(わかさのつぼね、生年未詳⇒建仁3年(1203年))は、鎌倉時代初期の女…
-
一幡~一幡之君袖塚~源頼家の長男として誕生するもわずか6歳で人生の幕を閉じる。
【一幡】一幡(いちまん)は、(建久9年(1198年)⇒ 建仁3年9月2日(1203年10…
-
竹御所・源媄子(源鞠子)~源頼朝の孫で幕府の権威の象徴だったが赤子と共に散る
-
源頼家~悲劇の2代目~北条VS比企、時々朝廷、そして東国武士の権力闘争が渦巻く時期。
-
十三士の墓~源頼家の家臣たちの眠る場所
-
指月殿~伊豆で最古の木造建築~北条政子が我が子である源頼家の菩提所として建立。
-
城願寺~神奈川県指定文化財となっている土肥一族のお墓と国指定天然記念物・ビャクシンがあります。