【庁鼻和城】
「こばなわじょう」とよみます。
初代関東管領で山内上杉家の始祖であった
上杉憲顕(うえすぎ のりあき)は、六男である
上杉憲英(うえすぎ のりふさ)をこの地に遣わし、
館を築かせます。
目的は新田氏を抑えるためでした。
上杉憲英公は深谷上杉氏の祖となり
初代の庁鼻和城主となります。
武蔵平一揆や新田義宗・脇屋義治の反乱を鎮圧し、
明徳3年(1392年)に
奥羽地方が鎌倉府の管轄に移されると、
奥州管領に任じられて
嫡男の上杉憲光とともに任にあたりました。
以後、上杉憲光、上杉憲長と3代にわたってこの地に
居住しました。
【館の広さ及び構造など】
案内板によると、
館は1辺170米の正方形で
外郭を含めると28ヘクタールの広さ、
ということです。
【国済寺建立】
康応2年(1390年)に上杉憲英公が
高僧・峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師を招いて
館内に国済寺(こくさいじ)を開きました。
現在は歴代上杉氏の菩提寺となっています。
奥には歴代上杉氏の墓所があります。
【遺構】
本堂裏手に
当時の築山と土塁が残っています。
【廃城】
子孫の上杉房憲が深谷城を立てて深谷上杉家を名乗り、
庁鼻和城は廃城となりました。
【所在地】
〒366-0033 埼玉県深谷市国済寺521
【駐車場】
お寺の駐車スペース有り。
<場所>
青印は駐車スペース付近です。
<黒門(総門)>
江戸時代に建立されました。
深谷市指定文化財です。
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