【さわ】
2024年NHK大河ドラマ
「光る君へ」の登場人物の一人です。
NHK公式サイトの役柄紹介の文章を
引用しますと
「紫式部(まひろ)の友人。
父の藤原為時が世話をする女性の、
以前の結婚で生まれた娘。愛情に飢えた、
一風変わった娘で、まひろを慕い親しくなる。
やがて父親の九州赴任についていくことになる。」
この「父親の九州赴任」が鍵となります。
【筑紫の君(平維将の娘)】
角田文衞の説によりますと、
平維将の娘は
紫式部の親友である
「筑紫へ行く人のむすめ」
とされるとのことです。
「紫式部集」によりますと
二人は同時期に姉妹を亡くしており、
お互いを「あね」「いもうと」と
呼び合ったとのことです。
筑紫の女は父の任官で
肥前国に移り住むことになり、
別れの際には贈答歌を詠んでいます。
なお筑紫の女が平維将の娘とする
根拠については、
父の赴任の時期が重なることに加え、
紫式部と平維将の娘は
従姉妹であるとのことです。
平維将の妻は紫式部の
父方の伯母となります。
また、筑紫の女は紫式部と
再会することなく
肥前で亡くなったとのことです。
【「筑紫」について】
「筑紫」とは古く、九州地方の称でした。
九州地方全体を指す場合、九州の北半、
肥の国・豊国を合わせた地方を指す場合、
筑前・筑後を指す場合、筑前国、
もしくは大宰府を指す場合などがあります。
つくのくに。ちくし。
もしくは現在の福岡県のうち
北九州市などのある東側(豊国)の
地域を除いた部分で、
のちの筑前国・筑後国の
範囲にあたります。
南側で火国(熊本県)に接しています。
肥前国(ひぜんのくに)は、
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。
西海道に属し、現在の
佐賀県と長崎県(壱岐・対馬を除く)にあたります。
【姉の死】
紫式部には同母姉がいました。
長徳2年(996年)、
父の任官により
越前国へ赴く時に
姉は同行しておらず、
これ以前(または同年)に
死去していると考えられるそうです。
死因は恐らく
天然痘だと考えられています。
幼い頃に彼女らの母親が
若くして亡くなったこともあり、
母を亡くしていた
紫式部にとって
姉の死は大きな影響を
与えたといわれています。
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【「筑紫へ行く人のむすめ」(筑紫の君)】
「紫式部集」には
「筑紫へ行く人のむすめ」(筑紫の君)
が登場します。
紫式部が姉を亡くした頃、
筑紫の君は妹を亡くし、
二人は互いに姉妹の代わりに
思いあう約束をして手紙を
書きあったとのことです。
紫式部は筑紫の君を「姉君」と呼び、
筑紫の君は紫式部を「中の君」と
呼んでいたとのことです。
やがて、筑紫の君は、父の赴任に伴い
筑紫の肥前国へ旅立つことになります。
筑紫の君が
「西の海を思ひやりつつ
月見ればただに泣かるるころにもあるかな」
<現代語訳>
(筑紫の海を思いながら月を見ていると泣けてくる)
と贈ります。
紫式部は
「西へ行く月の便りに
たまづさのかき絶えめやは雲のかよひぢ」
<現代語訳>
(姉君が筑紫へ行っても手紙は絶やしません)
と返しています。
その後紫式部が
父藤原為時の任官に伴って
越前国へ旅立ちます。
越前国に筑紫の君からの手紙が届き、
紫式部はその返事として
「あひ見むと思ふ心は
松浦なる鏡の神や空に見るらむ」
<現代語訳>
(私が姉君に会いたいのは、
鏡の神が見てくださっているでしょう)
筑紫の君は
「行きめぐり逢ふを松浦の鏡には
誰れをかけつつ祈るとか知る」
<現代語訳>
(鏡の神にあなたを思って祈っています)
と返しています。
なお「鏡の神」とは
佐賀県唐津市の鏡神社とのことです。
けれども
筑紫の君は紫式部と
再会することなく
肥前国で亡くなってしまいます。
「いづかたの雲路と聞かば
尋ねましつら離れたる雁が行方を」
<現代語訳>
(姉君は雲に消えていった・・・)
【源氏物語と筑紫の君】
源氏物語の登場人物の一人である
玉鬘は幼い頃に母の夕顔を亡くし、
筑紫で育ちました。
筑紫の詳しい描写があり、
もしかしたら筑紫の君からの
情報が生かされているのかもしれません。
2024年NHK大河ドラマ
「光る君へ」では
野村麻純(のむら ますみ)さんが演じられます。
紫式部~世界最古の長編小説とされる「源氏物語」を執筆した女流小説家で平安時代きっての才女。
ちやは(藤原為信の娘)~紫式部の生母、藤原為時との間に一男二女を授かりますが若くして亡くなります。
藤原為時~漢詩の才能に長け、人格形成で紫式部に影響を与えたとされており、子らに先立たれる。
藤原惟規~紫式部の兄弟で和歌の才能があったが、越後にて父より先に亡くなる。
大弐三位(紫式部娘・藤原賢子)~母からは和歌や文才を、父からは明朗で自由快活な気性を受け継ぎ、行動力溢れ長寿を全うしました。
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