【笹下城】
笹下城(ささげじょう)または佐々木城は、
小田原北条家の家臣だった間宮氏の居城でした。
神奈川県横浜市港南区笹下に所在していました。
玉縄城と青木城をつなぐ
「伝えの城」としての役割を有していたとのことです。
【笹下城について】
大岡川が、笹下川と日野川の二手に分かれる間にある
高台一帯が城跡で、小田原北条氏に仕えた
間宮氏の武将である
間宮信元が築城したといわれています。
築城時期は不明ですが、大永6年(1526年)に
安房里見氏が渡海して
小田原北条氏領内を侵攻したことにより、
江戸湾防備の必要に迫られて
築城されたと考えられています。
その後、息子である
間宮康俊の居城となっていました。
間宮康俊は「小田原衆所領役帳」において
玉縄衆として記録される人物であるとのことです。
【遺構】
横浜市に見られる谷戸地形を利用した
「谷津構え」と呼ばれる
築城方法で築かれており、
笹下川や支流の左右手川(そうでがわ)、
ほか大小の谷戸を天然の堀としていました。
笹下の梅花山成就院裏の
丘頂上部一帯が本丸とされ、
その周囲には空堀、水堀、
犬走りの跡らしいものがあるということです。
城の周辺には、外郭の守りとして
多くの間宮氏陣屋があったそうです。
また成就院の山門は、
間宮氏の笹下陣屋の門を
移築したものと伝えられています。
一方では太平洋戦争の戦火を被り
復元された門とする資料もありますが、
その記載のない資料もあり、
創建時の門そのものであるかは
不明確な点がありますが、
笹下陣屋門の姿を忠実に伝える山門とされています。
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さらに、笹下五丁目にある
笹下中央公園には雑色杉本遺跡があり、
かつ笹下城の領域とされ
間宮氏家臣である
北見掃部の屋敷があったとされていました。
このため1989年(平成元年)の発掘調査で
城の発見を主眼として発掘が行われましたが、
発掘の結果、城曲輪と目された
平坦な場所は縄文時代以前に
形成された埋没谷による地形であって、
城郭や中世に属する遺構は発見されなかったということです。
【所在地・梅花山成就院】
所在地: 〒234-0052 神奈川県横浜市港南区笹下4丁目11−5
【交通アクセス】
JR根岸線「洋光台」駅から徒歩15分程度。
(バス)
「洋光台駅前」⇒「公園口」 下車徒歩5分程度。
京急本線「屏風浦」駅から徒歩18分程度。
ブルーライン「港南中央」駅から徒歩20分程度。
近くにコインパーキングはありません。
大変な急坂が続くので無理はなさらずに
ご自分のペースで
歩かれてください。
車で回る方は、小学生の通学路でもあるので
走行にはくれぐれもご注意ください。
付近に路駐はできません。
【笹山城跡】
大船にある玉縄城の支城で狼煙台があったそうです。
笹山場跡 (標高82m、比高25m)は、
戦国時代に築かれた平山城とされています。
笹山城に関する史料は乏しく、
天正18年(1590年)の小田原合戦の際に、
玉縄城の出砦であったと伝承されるのみです。
笹山の西方に鎌倉街道が通り、
周囲を圧する高台に位置し、眺望もよいです。
開発される前は
古井戸や柱穴跡もあったといわれていますが、
現在では明確な遺構は見られないとのことです。
【所在地】
〒233-0015 神奈川県横浜市港南区日限山2丁目1−22
今井城(今井砦)~木曾義仲家臣で巴御前とは兄弟である今井四郎兼平の居城という伝承があります。
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北条氏綱~小田原北条2代目~北条氏を名乗り、小田原北条氏の礎を築き、先進的な領国経営をした当主。
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