城跡

向羽黒山城(続100名城)~蘆名盛氏が築き、上杉景勝・伊達政宗・蒲生氏郷も改修した東北最大級の要害です。

向井羽黒山城(遠景)



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【向羽黒山城】

向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)は、
福島県大沼郡会津美里町にあった
日本の城です。
城跡は、国の史跡に指定されています。

【別名】
岩崎城

【城郭構造】
山城

【天守構造】
なし

【築城主】
蘆名盛氏

【築城年】
永禄11年(1568年)

【主な改修者】
蘆名氏?上杉氏?蒲生氏?

【主な城主】
蘆名氏、上杉氏、蒲生氏

【廃城年】
慶長6年(1601年)

【遺構】
曲輪、土塁、堀、石垣

【指定文化財】
国の史跡

【向羽黒山城について】
戦国時代、
会津を治めた蘆名盛氏が築城し、
北の風雲児・伊達政宗
豊臣秀吉に信頼厚い蒲生氏郷
それぞれ重要な要衝として改修を加えています。
上杉景勝直江兼続主従が
最後の砦とした
東北最大級の天然の要害が
「向羽黒山城」です。

向羽黒山城史跡案内

<白鳳山公園案内図>
白鳳山公園案内図

会津の蘆名氏は相模(神奈川県)の三浦一族です。
1192年に鎌倉幕府を樹立した
源頼朝の御家人として、多大な軍功により、
会津の穀倉地帯である
北部を中心に領地を得たといいます。

向羽黒山城からの眺め

白鳳三山の最高峰である岩崎山は
向羽黒山とも称し、
そこに蘆名盛氏が永禄11年(1568年)に
山城を築きました。
城の規模は、東西1.4kmで
南北1.5km、
面積は50ヘクタールとのことです。
東を流れる阿賀川や東部分の崖などの
天然の要害に加えて
土塁や堀などの防御施設がいたるところに
造営されています。
戦国時代会津を治めた蘆名盛氏が
8年もの歳月をかけて築城した天然の要害です。

向羽黒山城跡 注射スペース 紅葉

現在も一曲輪や二曲輪、九十九折の道、
城への出入口とされた虎口などの遺構を残し、
かつての面影を偲ばせています。

向羽黒山跡 堀切跡

向羽黒山城跡は、白鳳山公園と呼ばれています。
白鳳山公園は観音山・羽黒神社のある羽黒山・
一曲輪(いちのくるわ)のある岩崎山の
3つの山から成ります。

向羽黒山城跡 全体図

平成13年8月7日、
白鳳山公園のうち、
一曲輪・二曲輪・御茶屋場曲輪など、
多くの遺構を残す岩崎山を中心に、
国指定史跡となりました。




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<かんのん坂方向>
トイレもあります。
向羽黒山城 かんのん坂 トイレ

<向羽黒山城 一曲輪>
本丸へと続きます。
登城用の杖もおいてありました。
向羽黒山城 一曲輪

<向羽黒山城 一曲輪・説明>
向羽黒山城 一曲輪・説明

<二曲輪(二の丸)>
二の丸広場となっており、展望台でもあります。
向羽黒山城 二曲輪(二の丸)

<二曲輪 展望台からの眺め>
二曲輪 展望台からの眺め

<二曲輪下 駐車場>
トイレもあります。
一曲輪へも車を停めてここから行けます。
クマよけの鈴やベルがあると良いですね。
二曲輪下 駐車場

<岩崎山弁天神社・御水神社>
岩崎山弁天神社・御水神社

二曲輪広場や御茶屋場曲輪からは、
磐梯山や 飯豊山、
会津若松市を望むことができ、
会津を一円を見渡せるビュースポットとなっています。

向羽黒山城跡 御茶屋場跡 ながめ

岩崎山山頂の本丸(実城)跡を中心に
現在公園となっている二の丸跡、三の丸跡、
伝蘆名盛氏屋敷跡などの郭をはじめ、
竪堀や空堀、虎口、石塁の跡などの
戦国山城の名残が城跡内各所に残されています。
城の東側直下を阿賀川が流れております。

阿賀川 向羽黒山城

【歴史】
永禄4年(1561年)に
蘆名盛氏によって築城が開始されました。

永禄11年(1568年)に完成し、
隠居していた蘆名盛氏は
死ぬまでここに住んで
蘆名氏の政務をみていたとのことです。

蘆名氏が伊達政宗に天正17年(1589年)
の摺上原の戦いで敗れ滅亡した後、
会津領主となった伊達政宗や蒲生氏郷
上杉景勝も最後の砦としていました。

蘆名氏の全盛期を築いたのが
16代当主の蘆名盛氏です。
最大の勢力を誇ったのは戦国の世の真っ只中、
領内の豪族をまとめあげ
一枚岩とした蘆名盛氏は、
度重なる戦いで新潟県東部から
会津地方全域、
中通り地方のほとんどを従えており、
百万石の会津太守と謳われ
蘆名家中興の祖と
呼ばれるようになりました。

<出世稲荷神社(松風の道)>
出世稲荷神社(松風の道)

<出世稲荷神社・説明>
出世稲荷神社・説明

けれども繁栄は長くは続かず、
蘆名盛氏の嫡男で17代の蘆名盛興は、
世継を残さず(女子は一人もうけました)、
天正2年(1547年)に
29歳の若さで病死しました。
そのため蘆名盛氏は、
残された盛興婦人(伊達氏女)に、
須賀川から人質の二階堂盛隆を婿にして
蘆名家を継がせましたが家臣に斬殺され、
その子亀若(王)丸も
幼年のまま病死してしまいます。

全盛期を築いた蘆名盛氏でしたが、
天正8年に60歳で没して以降、
その後の養子問題でも家中が乱れ、
運命の天正17年(1589年)、
磐梯山麓の摺上原の合戦で
伊達政宗に大敗し、
会津支配400の歴史に
終止符が打たれたのでした。

向羽黒山跡 道路

やがて、上杉景勝の時代、
豊臣秀吉の死後に徳川家康が改権をつかむと、
豊臣秀吉の重臣であった
上杉景勝にも圧力をかけてきました。
有名な「直江状」は会津で書かれたものです。




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徳川家康の会津攻撃の報を聞くや、
上杉景勝は神指城の築城をやめ、
白河方面の防塁を築き始めました。
が、それ以前に向羽黒山城に
すでに手を加えていたことは
あまり知られていません。
上杉景勝は、会津に入ると真っ先に、
向羽黒山城を2年間かけて
大改修を行っていたといわれています。

上杉景勝と直江兼続は、
向羽黒山城を対徳川家康戦の
最後の砦として考えていた説もあり、
会津で東北の関ヶ原が行われていれば、
最も重要な砦となりえた山城であったのでした。

<慶長6年(1601年)>
関ヶ原の戦いでの上杉軍の敗戦に伴い、
廃城となりました。

<平成13年(2001年)>
国の史跡に指定されました。

<平成29年(2017年)4月6日>
続日本100名城(111番)に選定されました。

【スタンプ設置場所】
◆向羽黒山城跡整備資料室前
向羽黒ギャラリー
向羽黒山城跡を紹介する施設です。
これまでの調査の状況や環境整備の状況を
写真パネルで紹介・説明するとともに
山城跡のジオラマ模型や、
山城を築城した蘆名盛氏公を
はじめとする
蘆名氏の関連資料も紹介しております。

向羽黒山城跡整備資料室前 向羽黒ギャラリー

<開館時間>
4月~12月上旬の土・日・祝日
午前10時~午後2時
土、日祝日
見学無料
※変更になる場合があります。

また続100名城スタンプ押印は
こちらギャラリー入り口右側に設置しております。

【所在地】
〒969-6133 福島県大沼郡会津美里町3208

◆本郷インフォメーションセンター
向羽黒山城パンフレット配布及び、土日祝日
山城観光ガイドがおすすめスポットや、
散策路の案内対応および御城印の販売。

【所在地】
〒969-6116 福島県大沼郡会津美里町瀬戸町3161−1

【城・交通アクセス】
(電車)
JR只見線「会津本郷」駅から徒歩20分程度
会津鉄道会津線「南若松」駅から徒歩15分程度
JR磐越西線「会津若松」駅から
バス「本郷行き」に乗り約30分、
「インフォメーションセンター前」バス停下車
(車)
磐越自動車道「会津若松」ICから30分程度
磐越自動車道「新鶴スマート」ICより約20分程度

【駐車場】
白鳳山公園駐車場
(無料、11台)

【城・所在地】
〒969-6133 福島県大沼郡会津美里町船場

城廻所要時間:30分~1日
全て巡ると(徒歩含む)1日がかりになります。
それ程の規模の見事な城跡です。
熊出没にご注意ください。

会津若松城(鶴ヶ城)~日本100名城、蘆名氏が築城、伊達・上杉・蒲生・加藤・保科・松平と続いた天下の名城。

小田山城~蘆名氏が築城し詰城として数百年機能、戊辰戦争時には会津若松城への砲撃場所となりました。

須賀川城跡~二階堂氏が室町時代に築城、やがて伊達氏と争い去っていきます。

神指城跡~上杉景勝が新たな城下町を築こうとした幻の城、大ケヤキが思いを今に伝えます。

伊達政宗~独眼竜・東北の覇者~内向的だった子供が成長し、とことん人生を楽しんだ生涯!

芦名城~戦国大名・蘆名氏の発祥の地であり、三浦一族の本拠地である衣笠城の支城でした。

佐原義連と相模・佐原城、一ノ谷の合戦「鵯越の逆落とし」一番乗りの武勇で有名、会津・蘆名氏の祖です。

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猪苗代城 ~三浦一族で蘆名氏と同族の猪苗代氏が築城し約400年間支配、江戸時代は会津藩の重要拠点でした。

二本松城~国史跡、日本100名城・日本さくら名所100選、二本松少年隊の悲話があります。

白河小峰城(日本100名城)~東北三名城、東北では珍しい総石垣造りのお城です。

三浦義明と衣笠城合戦~長老は自らの命を盾に三浦一族の未来を守りました。

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