鎌倉殿の13人

足利義兼~足利宗家2代目で足利尊氏のご先祖様さま、源頼朝の門葉で妻は北条時子で足利公方邸を構えました。

鑁阿寺 山門と本堂



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【足利 義兼】

足利 義兼(あしかが よしかね)は、
平安時代末期から鎌倉時代前期
にかけての武将及び御家人です。
足利宗家2代当主です。
室町幕府初代将軍足利尊氏
7世孫に当たります。

【父】
源(足利)義康
【母】
藤原季範養女
【兄弟】
義清、義長、義兼、義房

【妻】
正室:北条時政娘・時子

【子】
畠山義純、桃井義助、義氏、
藤原親兼室、
野田朝氏室、
園田成実室

【養子】
義胤

【足利義兼の生涯】
幼い時に父親である
足利義康を亡くした足利義兼は、
伯父である源(新田)義重の
軍事的庇護を受けていたとされています。

源頼朝挙兵】
治承4年(1180年)に
血縁的に近い源頼朝
以仁王の令旨に応じて
伊豆国で挙兵すると、
河内源氏の一族であり、
また以仁王を養育した
暲子内親王(八条院)の
蔵人でもあった関係からか、
足利義兼は比較的早い時期から
源頼朝に従軍していました。

源範頼に属する】
元暦元年(1184年)5月、
木曽義仲の遺児である
木曽義高残党の討伐において
戦功を挙げました。
その後、源頼朝の異母弟である
源範頼に属して平家を
追討した功績により、
源頼朝の知行国であった
上総国の国司(上総介)に
推挙されたのでした。

【大河兼任の乱】
文治5年(1189年)の
奥州合戦にも従軍しました。
建久元年(1190年)に
出羽国において
奥州藤原氏の残党が挙兵すると、
追討使としてこれを平定しました。

【門葉だが次第に御家人として幕下に】
文治元年(1185年)に
任ぜられた上総介を
4年後の源頼朝の知行国返上まで
務めるなど、源頼朝の門葉として
幕府において高い席次を与えられていました。
けれども源頼朝の地位が高まっていくと、
御家人として幕下に
組み込まれることになっていきます。

足利学校

【処世術の為に出家する】
建久6年(1195年)3月、
東大寺で出家し、義称(ぎしょう)と称しました。
出家した理由としては、
源頼朝近親の源氏一族が
相次いで粛清されたための
処世術であったと考えられています。
そして足利義兼の死後も
岳父となる北条時政
他の娘婿らが畠山重忠の乱に
関与した疑いなどで次々と
滅ぼされていきましたが、
足利氏は幕府内の地位を
低下させながらも生き残ったのでした。

鑁阿寺 境内

出家後は下野国足利荘の樺崎寺に隠棲し、
源頼朝が死去した同じ年の
正治元年(1199年)3月8日に
同寺において死去した後、同地に葬られました。
生入定であったとも
伝えられています。
現在の樺崎八幡宮本殿は、
足利義兼の廟所である赤御堂です。
鑁阿寺は、
足利義兼が居館に建立した
持仏堂を足利義兼の三男で
足利3代目当主のとなる
足利義氏の代に整備したものとされています。

鑁阿寺 御霊屋

【浄妙寺】
足利公方屋敷跡の石碑の近くには
足利氏の菩提寺である浄妙寺があります。
浄妙寺は足利義兼が創建したお寺で、
足利尊氏やその異母兄・足利高義、
尊氏と同母弟である足利直義の
父親である足利貞氏の宝篋印塔があります。




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【所在地】
〒248-0003 神奈川県鎌倉市浄明寺3丁目8−31
※お寺の名前は「浄妙寺」で地名は「浄明寺」です。

【拝観料】
大人(中学生以上):100円
小学生:50円
【拝観時間】
午前9時~午後4時30分

【交通アクセス】
JR「鎌倉駅」東口バス乗り場から
「八幡宮方面行き」で「浄明寺」下車、
徒歩3分

【足利義康は源姓足利氏の祖】
父の足利義康は源義家の孫である
源義国の子で源姓足利氏の祖です。
母は熱田大宮司藤原範忠の娘ですが、
祖父である藤原季範の養女となりました。
藤原季範は源頼朝の母である
由良御前の父でもあるため、
足利義兼は父方でも母方でも
源頼朝と近い血縁関係にありました。

【源頼朝の正室の妹と結婚】
治承5年(1181年)2月、
源頼朝の正室である
北条政子の妹の北条時子と結婚し、
源頼朝とさらに近い関係になったことも
足利氏の嫡流を継いだ要素の一つと見られています。

【足利義兼の家督継承について】
異母兄の矢田義清と足利義長は
庶子であったために、
本拠の足利荘を嫡子の
足利義兼に譲ったということです。
けれども、矢田義清は祖父の
源義国以来の根本所領簗田御厨を
管理し所領としており、
元々の家督継承者と見る説もあります。
矢田義清と足利義長が
治承・寿永の乱で木曽義仲の陣営に参じ、
寿永2年(1183年)の水島の戦いで
戦死したことから、
源頼朝を後ろ盾とする
足利義兼が家督を継承したとされています。

【足利義兼の長男:畠山義純】
長男である足利義純(畠山義純)は
遊女の子であったとも伝えられています。
大伯父の新田義重に新田荘で養育され、
新田義重の孫である来王姫を娶り
岩松時兼(岩松氏の祖)・
田中時朝(田中氏の祖)を儲けました。

金山城(城山)

後に義絶して
畠山重忠の未亡人(北条時政の娘)を迎え、
畠山泰国(源姓畠山氏の祖)が生まれました。

七尾城跡 本丸からの眺め

【次男の足利義助(桃井義助)】
次男の桃井義助は上野国桃井郷を
領地として城を築きます。
承久の乱で幕府方の将として
戦死しましたが、
遺児の桃井義胤が桃井郷の地頭となり、
桃井を苗字としました。
子孫の桃井氏は室町幕府の草創期に活躍しました。




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【三男の足利義氏】
足利氏の嫡流は
正室所生の三男義氏が継ぎ、
子孫に足利将軍家の他、
吉良氏・今川氏・斯波氏・
渋川氏・一色氏などが出ました。

足利公方邸跡 碑

【逸話】
足利義兼の正室である北条時子は
侍女の藤野が汲んできた生水を
飲んだところ妊娠したような腹になり、
これを足利忠綱(藤姓足利氏)と
密通して身籠ったのだと
藤野が讒言してしまいます。
北条時子は身の潔白を示すために自害し、
その遺言どおりに遺体を改めると
腹から大量の蛭が出てきたという
「蛭子伝説」があります。

現在では伝承による
北条時子の症状から、
決して不義密通ではなく、
生水をそのまま飲んだことによって
寄生虫が入ってしまい、
それが原因で肝硬変などを患い、
そのための腹部膨満との説があります。

・・・生水はキケンですね!!

【運慶作の大日如来像】
運慶作と伝わる光得寺(足利市)と、
2008年3月に真如苑が
ニューヨークの競売で落札した
大日如来像2体は、
足利義兼の発願に拠るものとされ、
足利義兼の出家の頃に刻まれたと
見られています。

足利学校の開設者については
諸説ありますが、
足利義兼もそのひとりとされています。

河内源氏の栄枯盛衰~形成から興隆、衰退、初の武家政権となった鎌倉幕府と次の室町時代。

北条時子~足利義兼の正室で北条政子の同母妹、身の潔白の為に自害。お腹が膨れた原因は寄生虫の可能性あり。

足利公方邸跡(鎌倉)、鎌倉時代初期に足利義兼が構えた屋敷は足利尊氏も住みやがて激動の室町時代を迎えます。

足利学校・ザビエルも海外に伝えた日本最古の大学

足利氏館跡~日本百名城~鑁阿寺について

源頼朝の生涯~武家政治の創始者~武家源氏の主流の御曹司でイケメンだったそうです。

平賀義信~源氏御門葉及び御家人筆頭として権勢を誇る。平賀氏は2つの系統があります。

勝長寿院跡、源頼朝が建立した源氏の菩提寺で大御堂といいます。当時の鎌倉の三大寺社の一つでした。

結城朝光~誇り高く抜け目ない政治力と巧みな弁舌で鎌倉幕府に重きを成していきます。

源範頼~ひそやかに育てられ、兄の源頼朝のために尽力するも嵌められて消えてゆく

北条政子~いちずに恋した乙女は幾多の悲しみと困難を乗り越え尼将軍となった。

北条時政~先見性を持ち才腕を振るって幕府の実権を掌握するが暴走して寂しく去る。

伏見広綱~源頼朝の有能な右筆、のハズが頼朝の兄嫁への恋文の使いと亀の前を匿って遠江に流罪となりました。

三河・今川城~今川氏発跡地、今川一族の足跡は常に鎌倉・室町幕府の歴史の渦中にいました。

藤岡城~平将門が弟に築かせ、藤姓足利氏の始祖・足利成行が再興したとのことです。

赤見城~藤姓足利氏である足利俊綱が平安時代末期に築城、戦国期は赤見氏の城で400年の歴史があります。

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