城跡

湯船城跡~平安時代の築城と伝わるも、宝永の富士山大噴火の遺跡として有名となった城。

湯船城跡



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【湯船城跡】

湯船(ゆふね)城跡。
野沢川と湯船川の合流点近くの
標高410m、比高90mの附野山に築かれた城です。
東麓に南北2つの丘陵地に囲まれた
谷戸状地形にある本蓮寺が、
湯船城主の居館跡であるとされています。

【宝永の富士山大噴火の遺跡】
小山町柳島の「湯船城跡」で、
富士山の宝永大噴火(1707年)の火山灰で埋まった
畑の跡が良好な状態で発見されました。
大噴火の49日前にあった
宝永地震により生じた
地割れの可能性がある痕跡も
確認できるとのことです。

宝永噴火は宝永4年11月23日
(1707年12月16日)午前10時ごろ、
富士山南東斜面で発生しました。
新たに開いた宝永火口からの
火山灰などの噴出物は、
12月9日未明まで16日間にわたって
断続的に降り続いたとのことです。
火山灰は偏西風に乗って
100キロ以上離れた房総半島にまで届き、
当時江戸に住んでいた儒者の新井白石は
「雪が降っているのかとよく見ると、白い灰だった」
と書き留めています。

【宝永噴火の噴出物】
宝永噴火の噴出物は1・7立方キロ(推定値)に上り、
富士山東麓の須走村(現小山町)では
最大3メートルの火山灰が積もったそうです。
更に、集落の家屋76軒全てが焼失・倒壊ましした。
また、周辺の農村でも作付け直後の麦が
火山灰で全滅する被害に遭っており、
江戸幕府は被災村を直轄領に編入し、
急遽、全国から救済資金を集めるなど
対応に追われたとのことです。

【発掘調査】
静岡県埋蔵文化財センターでは、
新東名高速道路の建設工事に伴い、
平成27年度から湯船城跡の
発掘調査を実施しました。
標高390メートル付近の
地下約1~1・5メートルの地層から、
等高線に沿って幅20~80センチの
数種類の畝が確認され、
宝永地震による地割れで
最大30センチの段差が
生じていたことが判明しました。
畝からは炭化した種子も発見されており、
当時の文献から大豆などが
栽培されていたとみられています。

また、宝永噴火の際に埋没した畑跡を確認しました。
これまで調査が実施されてきた
静岡県内の富士山噴火被災遺跡のうち、
最も規模の大きい調査となりました。
畑耕作土中からは
炭化したオオムギ・コムギ・アワの種子の他、
炭化した鱗茎が大量に出土し、
鱗茎類の栽培の可能性が示されました。
また耕作土や旧表土より下位の層では、
溝跡・土坑・小穴等を確認しました。
城に関わる堀切や土塁、
建物跡や曲輪等は一切確認はできませんでした。
けれども、灰釉陶器の出土から、
平安時代よりこの地で人々の生活が
開始されていたことが判明しました。
出土遺物は中世の国産陶器の他に、
輸入陶磁器も確認されましたが、
中世遺物の存在から
調査区付近で何らかの活動が
行われていたものと推定され、
また城跡の範囲等については
再検討が必要ということになりました。




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【城主は誰?】
記録としては、
小河祐能と言う武将の名が見られます。
藤原北家長良流(法性寺流)で
大和守であった藤原親康の妹が、
湯船領主である小河祐能の母との
記載がある文献があるそうです。
それ以上は残念ながら判明はしていません。

【気になる「祐」の字】
通字を「祐」(すけ)とする一族が
同じ静岡県の近い地域に存在しています。
伊東氏の一族です。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて
伊豆国田方郡伊東荘(現・静岡県伊東市)
を本貫地としていた豪族です。
藤原南家・藤原為憲の流れを汲む
工藤氏の一支族です。
更に藤原南家伊東佑光家の子である佑光が
小川三郎を称しています。
もしかしたら、
何らかの関りがあったのかもしれません。
但し、あいにくこれ以上の事は、
調べても分かりませんでした。

【廃城の時期は?】
いつ廃城になったのかも全くわかりません。
戦国時代は当初は大森氏の所領であった模様です。
また、近い場所、
現在は神奈川県になっていますが、
河村城があります。
河村城は戦国時代に大森氏の所領になり、
其の後は小田原北条氏の支配下になります。
廃城の時期は遅くとも、
豊臣秀吉小田原征伐の頃かもしれません。

【所在地】
〒410-1305 静岡県駿東郡小山町湯船41

※現在は新東名高速道路の
建設工事現場となっております。
撮影は「湯船」公民館から行いました。

※近くには「湯船鉱泉」があります。

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