【御殿城】
読み方は「ごてんじょう」とも
「おどのじょう」とも。
【別称】
御殿内遺跡、
八田館?
【築城年】
【築城者】
小栗氏
【主な城主】
小栗氏
【小栗十郎重成小栗御厨八田館とは?】
御殿城(御殿内遺跡)は、
源頼朝が入御した
「小栗十郎重成小栗御厨八田館」
と考えられている説があるとのことです。
1180年に挙兵した源頼朝は、
同年10月20日に起きた
富士川の戦いで
戦果を挙げられませんでした。
その後の頼朝は、
関東を固めるための行動を
開始したのでした。
源頼朝は、平氏と接近して
源頼朝に従わない
常陸の佐竹秀義を討伐することにします。
11月4日には常陸国府に到着、
そして11月6日に
佐竹秀義が籠もる金砂城を落城させました。
合戦後の11月8日、
鎌倉へ戻る途中で源頼朝が入ったのが、
「小栗十郎重成小栗御厨八田館」で、
この館が御殿城(御殿内遺跡)と
考えられているそうです。
【存在していた場所】
御殿内遺跡は、
下館市との境界近く、
小貝川と東側に平行して流れる
小川の脇にあったとされています。
耕地整理によってすでに遺構は
ほぼほぼわかりませんが、
写真撮影すると確かに
わずかな段差が今でも見られます。
耕地整理前には堀と土塁を
そのまま残して
耕作していたとのことです。
小栗城を築いた小栗重家の子である
小栗重成が小栗城の平地の居館として
取り立てたのが御殿城であるとのことです。
【ともに廃城】
江戸時代初期の元和元年(1616年)、
一国一城令によって小栗城、御殿城、
丸郎丸砦は廃城となったとのことです。
(「新編常陸国誌」)
【所在地】
茨城県筑西市小栗
特定できる場所や痕跡は
ほぼほぼありませんでしたが、
概ねこのあたりであったと思われる
写真を数枚撮りました。
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