【韮山城跡】
韮山城(にらやまじょう)は、
伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山)にあった
室町時代後期から戦国時代にかけての日本の城です。
【別名】
龍城
【城郭構造】
平山城
【築城主】
外山豊前守?
【築城年】
15世紀末頃
【主な城主】
伊勢盛時
北条氏規
【廃城年】
慶長6年(1601年)
【遺構】
水堀、土塁、堀切、郭、虎口、園池、屋敷跡
【概要】
15世紀末に伊勢盛時(北条早雲)の
関東経略の拠点として整備され、
小田原北条氏の関東支配後も
伊豆支配の拠点としていました。
天正18年(1590年)には
豊臣秀吉による小田原征伐において
激しい攻防戦が繰り広げられました。
龍城の異称を持っています。
【韮山城の歴史】
築城年は実ははっきりとはわかっていないそうです。
「北条五代記」によりますと、
文明年間(1469年~1486年)に
初代堀越公方足利政知の家臣であった外山豊前守が
城を造ったのが始まりとされています。
また城内の熊野神社が勧進された年代から、
明応9年(1500年)頃までには
完成していたとする見解があります。
【小田原北条氏の本拠地として】
初めはあまり大規模なものではなかったそうです。
延徳5年(1491年)に
2代堀越公方であった足利茶々丸を攻め滅ぼした
伊勢盛時(北条早雲)によって
小田原北条氏の領有となり、
同年から伊勢盛時(北条早雲)によって
小田原北条氏の本拠地として
本格的に造営されたそうです。
伊勢盛時(北条早雲)はここを拠点に
伊豆の各拠点の支配を進め、
後に相模に領土を広げた後も
小田原城に移ることなく、
没するまでこの韮山城をを居城としたのでした。
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【伊豆支配の中心地】
その後も小田原城を中心に
関東を支配する
小田原北条氏の重要拠点の一つとなりました。
永禄末年には小田原北条氏の
3代目当主である北条氏康の
四男の北条氏規が城主として入り、
伊豆支配の中心地としました。
【武田信玄から守り切る】
元亀元年(1570年)8月、
武田信玄の駿河侵攻の際に攻められましたが、
北条氏規が守り切りました。
【小田原征伐、敵は5万】
天正18年(1590年)の小田原征伐では、
ほぼ天下を統一していた
豊臣秀吉の大幅な攻勢を受けました。
韮山城にも織田信雄の軍勢が迫ったために
北条氏規は籠城して戦い、
北条方は総勢約3千6百、
対して豊臣方は総勢約5万と伝えられる
大きな戦力差のなかで約百日間も持ちこたえました。
豊臣秀吉が派遣した徳川家康が交渉にあたり、
北条方諸城の落城を受けついに開城したのでした。
【歴史に幕を閉じる時】
その後、関東に入った徳川家康の家臣である
内藤信成の居城としていましたが
慶長6年(1601年)に転封され廃城となりました。
廃城後は、韮山代官の御囲地となったため、
その環境を大きく変えることなく、
土塁や堀なども戦国時代の姿をとどめています。
【現在の韮山城】
現在の韮山城は、
その敷地のほとんどが
かつての韮山代官江川太郎左衛門の子孫である
江川家の持ち物となっています。
2005年(平成17年)12月17日に、
韮山城の至近にある韮山高校のOBが
中心となって「韮山城を復元する会」を創設しました。
【城の構造】
典型的な平山城です。
丘陵に沿って縦に曲輪が連なっています。
現在でも曲輪や土塁の跡などが残されており、
散策路が整備されています。
武家屋敷や政庁の位置は不明ですが、
韮山高校のグランドに
御座敷という地名が残っています。
1990年(平成2年)から
1991年(平成3年)にかけて、
韮山高校の校舎の建て替え工事に伴い
発掘調査が行われました。
その結果、井戸や園池のほか、
屋敷跡と思われる遺構も出土しているとのことです。
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伊豆の国市文化財課では、
韮山城跡の概要パンフレットを発行しています(無料)。
また韮山城跡「百年の計」を策定し、
そのデータなどもダウンロードできます。
【登城についての諸注意】
現在、韮山城跡は本城(龍城山)のみ
階段等を整備しています。
土手和田遺構群、天ヶ岳遺構群や、
豊臣方の太閤陣場付城跡・本立寺付城跡・追越山付城跡・
上山田付城跡・昌渓院付城跡は、
私有地につき立ち入りをご遠慮願いますとのことです。
夏場はイノシシも確認されています。
登城の際は十分ご注意ください。
【所在地】
〒410-2143 静岡県伊豆の国市韮山438−3
【交通アクセス】
<公共交通機関>
JR東海道線「三島」駅から乗り換え⇒
伊豆箱根鉄道駿豆線「韮山」駅下車⇒
東へ徒歩約25分。
<車>
伊豆中央道・長岡北ICから東へ約12分程。
または、伊豆スカイライン・韮山峠ICから西へ約20分程。
【駐車場】(無料)
◆江川邸(城池の東側)
◆城池の北側
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