【能満寺(のうまんじ)】
本尊は釈迦牟尼如来です。
能満寺は、鎌倉の建長寺を開山した
蘭渓道隆尚の法孫定門(ちんもん)が、
弘長2年(1262年)にはじめて開いたお寺です。
元寇(げんこう)の役が起ると、
勅願寺として戦勝祈願が行われました。
元応年間(1319年~1320年)、
伏見天皇は詔を下して、七堂伽藍(がらん)を造営し、
片岡荘墾田五十一町歩を寄進されました。
後亀山天皇より
(南朝第4代天皇・在位:1383年~1392年)は
自ら書かれたという「吉祥山能満寺福智禅寺」の
勅額を賜っています。
その後、度々の大井川洪水で
伽藍宝物等すべてを流失。
けれども武田・徳川両家の力により隆盛しました。
伊井谷の龍潭寺、小笠郡の貞永寺と共に、
遠州臨済の三名寺とされています。
【能満寺の大ソテツ(蘇鉄)】
能満寺にある樹齢1000年のソテツは、
高さが約6メートル、枝数約90本あり
「日本三大ソテツ」のひとつに数えられており
大正13年(1924年)に
国指定の天然記念物となっています。
ちなみにあとの二つは
◆大阪の妙国寺のソテツ、
◆静岡市清水区の龍華寺のソテツ
能満寺のソテツは、995年ごろに
陰陽師として有名な安倍晴明が、
能満寺に植えたと伝えられています。
南方向に、高さ3.20m・長さ7.50m・小枝14~15本・枝もとの周囲1.70m
北方向に、高さ2.00m・長さ5.00m・小枝10本・枝もとの周囲1.70m
中央に、高さ6.00m・長さ4.60m・小枝不詳・枝もとの周囲1.70m
(大正13年測量)
西 昭和54年(1979)の台風で折れる。
東 この方向に高い枝ほとんどなし。
南高北低型の樹形で約80平方メートルに拡がる。
なお能満寺の調査によれば、
天保年間で、高さ2丈2尺・廻り1丈1尺・東西2丈8尺・南北2丈7尺
明治年間で、高さ2丈3尺・廻り1丈2尺・東西3丈・南北2丈9尺
平成6年で、高さ5.60m・廻り6.80m・東西7.50m・南北10.50m
(引用元:吉田町公式サイトより)
とのことで現在もすくすくと成長中とのことです。
【能満寺の大ソテツの伝説】
【1】
その昔、陰陽師の安倍晴明が
大井川をながれてきた大蛇を見つけて葬り、
その上にそこにソテツを植えたところ
ソテツは、大蛇の精をうけて大きく大なり
蛇のような姿になったそうです。
そこで、安倍晴明は、
人々に害を与えないように、
大蛇の精を封じたとのことです。
・・・確かに大きな蛇のようでもありますな。
【2】
駿府城にいた徳川家康が
ある時、能満寺を訪れ、ソテツのみごとさに驚いて、
このソテツを大変気に入り、持って帰りたくなったそうです。
そこで海から船を使い苦労して
駿府城へ移植しました。
・・・するとその日から夜になるたび
「いのう・・(帰ろう)いのう・・・(帰ろう)」
と泣く声が聞こえるようになったのでした。
このため徳川家康は
これは可哀そうなことをしてしまった、と思い、
故郷が恋しくて泣いている
大ソテツを能満寺へ帰してあげたのでした。
こうして能満寺に戻った大ソテツは泣くのをやめて
すくすくと成長したということです。
(参考:吉田町の公式サイトより)
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【所在地】
静岡県榛原郡吉田町片岡2517-1
【交通アクセス】
【公共交通機関】
<島田駅>
島田駅(北口)から
「しずてつジャストライン」島田静波線・静波海岸入口行きに乗車
⇒片岡北吉田特別支援学校で下車、徒歩5分
<藤枝駅>
藤枝駅(南口)から
「しずてつジャストライン」藤枝相良線・相良営業所行きに乗車
⇒片岡北吉田特別支援学校で下車、徒歩5分
【車】
◆東名吉田IC⇒県道34号((主)島田吉田線)を右折
⇒約1.8km南下(国道150号方面へ)⇒
案内看板を右折し、約400m
◆国道150号⇒
国道150号の「片岡」交差点を北上(島田方面へ)、
約400m
【駐車場】
能満寺山公園として町営の駐車場があります。
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