【周布城】
周布(すふ)城は、島根県浜田市にあった城郭です。
鳶巣城(とびのす)とも呼ばれています。
【鎌倉時代・築城】
周布城は、この地の豪族・周布氏の居城でした。
日本城郭大系によれば、
周布氏初代となる御神本兼定は、
益田兼季の次男で鎌倉時代初期の
安貞二年(1228年)に
この地に所領を受けました。
尚、御神本氏の祖は、関白であった
藤原北家の一族で
藤原忠平の後裔である国兼とされています。
そして御神本氏の先祖は源平の争乱で
源氏方について戦っていました。
益田氏はやがて周布氏と名乗る様になりました。
(御神本氏⇒益田氏⇒周布氏)
【南北朝時代】
南北朝時代、周布氏は三隅氏と共に
南朝方に属し各地を転戦します。
応永32年(1425年)、
漂着した朝鮮官船を保護したことを
きっかけに朝鮮との交易を始めました。
【戦国時代】
戦国時代になると、大内氏に属しましたが、
大内氏が滅亡すると
毛利氏に従うようになりました。
15代・周布元盛は、
吉川広家に従って朝鮮に出兵し、
晋州で討死にしました。
【関ヶ原の合戦後に廃城】
慶長5年(1600年)の 関ヶ原の合戦後、
毛利氏の領土が長門・周防の2国に削減されると、
周布氏も毛利氏家臣として萩に移住し、
周布城は廃城となりました。
萩には周布家の長屋門が残っています。
【地理地形や構造】
城は、周布川下流に面する
標高82メートルの鳶巣山に築かれました。
山頂部の小規模な本丸および
それを取り巻く二郭で主郭部を構成しているそうです。
さらに北西と南西に伸びる尾根に沿って
曲輪群が設けられていたとのことです。
【遺構】
曲輪、土塁、堀切、竪堀
【形態】
山城
【築城者】
周布兼定
【築城年代】
文永年間
【城の説明】
周布地区の東南隅にある聖徳寺の裏にある小丘です。
大手筋は鳶巣山の南麓にある
聖徳寺東側の墓地あたりとのことです。
けれどもここからの登城はできません。
【交通アクセス】
【電車】
JR山陰本線「周布」駅⇒徒歩約15分
【車】
浜田道浜田IC⇒国道9号線⇒県道305号線
【所在地】
〒697-1321 島根県浜田市周布町
この記事へのコメントはありません。