【深草館跡】
読みはふかくさやかたあとです。
【遺構】
曲輪、土塁、横堀(空堀)、天守台
【指定文化財】
県名勝(深草館跡)
【館の説明】
深草館跡は、長坂町大八田の
南新居集落の北側にある中世の館跡です。
北、東、南の三方を掘り切って
台地から切り放し、
西側は西衣川を堀として
利用していたとのことです。
堀の内側には高さ
1~2メートルの土塁があります。
大きさは東西約50メートル・
南北約130メートルです。
現在は南北二つの郭ですが、
かつては南郭をさらに分ける
土塁があったそうです。
築城年代のもう一つの説として、
平安時代後期(1156年頃)に
谷戸城の出丸として築かれたとのことです。
この館跡は谷戸城に対する居館であるとも
逸見清光の嫡男である
逸見光長の居館とも伝えられています。
「甲斐国志」によりますと、
元亀・天正年間
(1570年~1572年)頃の
武田家臣とされていた
堀内下総守の居館でしたが、
その子主税助のとき落城したとあります。
館の外郭部にあたる北東側台地では
発掘調査が行われ、結果、
15世紀から17世紀にかけての
遺構・遺物が発見されました。
深草館跡は遺構の保存状態が良く、
中世の館の姿を今日に伝えています。ま
た、周辺には国史跡谷戸城跡や
大量の古銭が出土した
小和田遺跡といった
中世の遺跡が数多くあり、
中世史研究の上でも重要な史跡であるそうです。
廃城時期は定かではありません。
甲斐武田氏滅亡後、
甲斐国に侵攻してきた小田原北条氏によって
接収され、徳川方に対する駐屯地として
利用されていたと考えられています。
そして小田原北条氏の撤退後に、
深草館は役目を終えたと見られています。
【所在地】
〒408-0034 山梨県北杜市長坂町大八田2413
【交通アクセス】
JR中央本線「長坂」駅下車⇒徒歩45分程度
【駐車場】
なし
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