【お雪供養塔】
「土佐物語」によりますれば、
応仁の乱をのがれて土佐の中村にやって来た
公家一条氏の四代である一条兼定は、
鷹狩の時にみそめた平田の百姓の娘である
お雪さんにほれ込み、「お雪御殿」と呼ばれる
家まで建てました。
そして狩りと称しては、
そのお雪さんの処に入り浸り、
すっかり政を疎かにして、
尚且つ、わがままなふるまいを続けていたとのことです。
そうした一条兼定の行いに怒った家臣たちは
中村の御所に閉じ込められ、隠居を強制されて
更には豊後に追放されたとのことです。
そして、そのことを知ったお雪は
川の淵へ身を投じてしまった、と記されているそうです。
現在では、この身を投じたとされるお雪の入水の地である
川の淵は水田となっています。
その中に「南無阿弥陀仏」の六字の名号を刻んだ供養塔が建っております。
その供養塔のことを土地の人は「御前が碆」とよんでいます。
土佐一条氏は長宗我部氏の策略のなか、
この後ついに領地を奪われてしまうのです。
【所在地】
〒788-0781 高知県宿毛市平田町黒川
<場所>
供養塔の傍らに車を停めて撮影しました。
決して幅の広い農道ではないので
農作業などを行っている方々の邪魔にならないように
お願いします。
四万十川の戦い~渡川の古戦場~長宗我部元親の土佐統一、一領具足とは?
・・・・もしかしたら、
この「お雪さん」は
長宗我部氏側が用意した諜報員だったりして・・。
と、考えてしまいました。
長宗我部氏は一条氏の攻略に当たって、
かなりの諜報・流言・調略を用いたそうなので・・。
「お役目」が済んだので、
元の場所へ戻ったか、口封じのために始末されたか、
或いは本当に好きになり入水してしまったのか・・。
伝承通りに、農家の娘で、
一条兼定が「惚れて」しまったのか。
今となっては知る由もありませんが・・。
現在はのどかな田畑の中にあります。
一條神社~土佐一条氏の中村御所跡~四万十に残る室町時代の京文化を今に伝える神社
浦戸城跡~桂浜の丘陵にある長宗我部氏の最後の城~浦戸一揆で旧臣が壮絶な抵抗をした場所
この記事へのコメントはありません。