【御城】
小薬城は、梶原景則が祇園城の支城として
築いたという言い伝えがあります。
梶原景則の父である梶原景時は、
鎌倉幕府の御家人から
反感を買っていました。
1199年に源頼朝が亡くなると、
御家人から弾劾を受けて
追放されてやがて殺されました。
梶原景時の子である
梶原景則は落ち延びて
小山朝政を頼り、
この地に定着したという伝承が
あるとのことです。
梶原氏がこの地にいたことは
確かな事であるようですが、
それが鎌倉時代からであるのか、
古文書は異なっているとのことです。
【別名】
小薬城
【形態構造】
平城
【築城主】
梶原景則
【築城年】
鎌倉時代前期?
【主な城主】
梶原氏
【遺構】
横堀(空堀)?
【再建造物】
石碑
【小薬の地について】
寛喜2年(1230年)8月13日の
「長沼宗政譲状」(皆川文書)に、
長沼宗政が子時宗に譲った所領として
小薬があります。
ところで長沼氏は小山氏から
分かれた家系です。
しかしながら、
正安元年(1299年)12月6日の
久明親王による
「将軍家政所下文」(園城寺文書)では、
皆川宗秀が父である宗泰から
弘安6年(1283年)3月27日に譲られ、
幕府がこれを安堵しており、
小薬が入っています。
鎌倉幕府が倒れた翌年となる
建武元年(1334年)8月28日の
「御醍醐天皇綸旨」(皆川文書)では、
長沼秀行が安堵されています。
また、元中年間(1380年~1392年)
に出された
「鎌倉公方足利基氏御判御教書」
(皆川文書)では、
長沼宗千が安堵されています。
以上のように、長沼氏が代々小薬を
所有していたことが明らかとなっています。
その後、小薬は結城氏が領する
こととなりました。
結城基光が小山義政の乱で活躍しました。
小山氏の領地を支配し、
滅亡した小山氏の跡を結城基光の二男である
泰朝が継いだとのことです。
【梶原氏の所領】
けれども、年月日不詳の
「岩松持国闕所注文写」
(正木文書)では、
小薬の地が梶原五郎右衛門尉の
所領となっているとのことです。
所有者がいなくなった小薬の地に
梶原氏が入ったことを
岩松持国が記しているとのことです。
【小山氏領となる】
さらに年不明の
6月13日の「足利政氏書状」
(小山文書)では、
小山氏が小薬を領することになったものの、
そこには梶原氏がいて、
梶原氏には別の地を与える、という
記述がみられるとのことです。
時代は戦国期に入り、
永禄5年(1562年)正月18日の
「小山秀綱安堵状」(岩上文書)では、
小山秀綱が岩上伊勢守に
「小薬之内廿貫文之所」を安堵。
また、天正2年(1574年)12月6日の
「小山秀綱書状」(岩上文書)では、
小山秀綱が岩上筑前守に
と、小薬の鉄砲の替え番を命じている
記述がみられるとのことです。
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以上のように小薬は
いつからか梶原氏から小山氏が
所有することとなっており、
中でも小山氏家臣である
岩上氏の所領となったのですが、
梶原氏は小山氏には属してはいません。
むしろ敵対していたような・・・。
【現況】
御城(小薬城)跡には、
現在は御城稲荷神社が
建っています。
鳥居の左右に、
東西に延びる堀が
確認できるとのことです。
その他、中城と西城の郭が
あったとされています。
なお東側には
梶原氏の菩提寺となっている称念寺があり、
梶原氏関係の文書が9点
保有されているとのことです。
【称念寺・所在地】
〒323-0008 栃木県小山市小薬307
【御城・所在地】
〒323-0008 栃木県小山市小薬389ー1
【交通アクセス】
(電車)
JR両毛線「思川」駅から徒歩で
約15分程度。
御城稲荷神社が城跡となります。
【駐車場】
御城稲荷神社・境内
<ご注意>
御城の別名は「小薬城」で
地名でもありますが、
もう一つ同じ「小薬城」の別名を持つ
「鷲城」があります。
こちらも小山城(祇園城)の支城であり、
現在は国の指定にもなっています。
「鷲城」の所在地は
所在地: 〒323-0042 栃木県小山市外城272
です。
お間違いのないように。
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